上岡敏之指揮、新日本フィルのマーラー第五番ほかの演奏会(2017年9月、横浜)

2年前の9月のコンサートの備忘記事。

 

ベートーヴェンの四番のピアノ協奏曲とマーラーの5番というプログラム。

 

上岡さんは、かなり以前に年末恒例のN響第九を振っているのをテレビで聴いて、何というのか、テレビの画面からくっきり音楽が浮かび上がるような素晴らしい演奏で非常に印象に残り、一度、生で聴きたいと思っていたが、活動の中心がヴッパタールというドイツ西部のオペラハウスということでチャンスがなかった。2016年来、新日フィルの音楽監督に就任され、東京でも定期的に登場されるようになって是非行きたいと思っていたところ、今回ようやく念願を果たしたことになる。

 

今日のも期待を上回って素晴らしい演奏だった。とりわけマーラー。この曲も、それなりに頻繁に演奏されるようになって、すっかり御馴染になった、むしろ、なりすぎたところがあるが、そうした曲について、「そんなに簡単な音楽ではない」ということを改めて思い知らされるような演奏だった。

第一楽章の葬送行進曲からして、上岡さんの指揮では、マーラーというのは、こんなに耳障りで、グロテスクな音楽だったことを久しぶりに感じさせた。絵画でいえば、エゴン・シーレのようなトーンとでも言えばよいか。冒頭のトランペットのフレーズが戻って来た直後に、突如、全オーケストラが早いテンポで荒れ狂う部分など、最近では例を見ないぐらい早く激しい。しかし、後で楽譜を見ると、「突然により早く、熱情的に激しく(Ploetzlich schneller, Leidenschaftlich Wild)」とあって、実は全く作曲家の指示通りなのだった。こういう場面では、上岡さんも、指揮台の上で全身で撥ねまわり、指揮棒をアイスピックのように前に突き刺すように動かして、それこそマーラーの指揮姿のカリカチュアのような激しい指揮をする。暴れるといえばバーンスタインも凄いが、肉厚で恰幅がよい彼と違って、細身でそれほど大柄でない上岡さんの方がよりマーラーっぽい。何より、そうした動きがパフォーマンスではなくて、楽譜にある指定に即したものなのが素晴らしい。

 

第二楽章もそれこそ冒頭の指定通り「嵐のように激しい(Stuermisch bewegt)」音楽。もちろん一本調子で暴れまわるわけではなく、静かな場面では不気味なほど静まりかえる。この楽章も、音楽がなかなか一つの方向に流れて行かず、あちらに行ったり、こちらに行ったりするが、こういう、一つ一つの表現を徹底的に刻む演奏だと、いつになく非常に苦しく、長く感じる。そのせいか、いろいろ苦しい経過を辿った挙句、楽章の終わりの金管の勝利のファンファーレにたどり着いた瞬間は、不覚にも涙が浮かんできたほどだった。この曲でそんな経験をしたことはこれまでない。

 

第三楽章は、がらっと雰囲気を替えて、レントラーというか、むしろウィーン風ワルツのような音楽になる。それまでとは打って変わって、リラックした感じではあるものの、新日フィルの弦パートに思いっきり、ポルタメントをかけさせたり、各楽器のちょっとしたフレーズもかなりいろいろと凝った表情を付けていて、決して「楽に聞き流させる」演奏とはしない。

 

第四楽章は「ヴェニスに死す」で有名なアダージェット。ここでは、上岡さんは、かなり早いテンポで、くっきりと歌わせる。シューリヒトの振ったブルックナーアダージョのようなといえばそれをご存じの方なら一番分かりやすいのではないかと思うが、薄墨でさっと一筆で書かれた水墨画のようなと言えばよいのか。こういう演奏で聴くと、この交響曲は全体として響きがゴツゴツとしてささくれだった音楽となっている中で、この楽章だけは、楽器編成も弦楽(とハープ)の柔らかな響きのみに縮小して、ほんの束の間の美しい白昼夢のような音楽であったということに改めて気づかされる。遅いテンポでいろいろ拘っていじくりまわしても、何かいろいろ深い意味のある内容が出てくる音楽というわけでもないので、このように、快速なテンポで淡く儚くやるのが正着のように改めて感じる。

 

第五楽章も第三楽章までと同じで、この一つの方向に流れて行かない複雑な音楽について一つ一つ克明に表現した結果、全体として、終結に向かってまっすぐ向かっていく交響曲のフィナーレというよりは、オペラや劇音楽のように、目まぐるしく場面転換し、紆余曲折あり、そう簡単には要約できない複雑な物語といった印象を与える。そうはいっても、この音楽も、最後には金管の大ファンファーレに至り、その後、オーケストラのトゥッティで勝利の雄叫びをあげて終わるが、そこに至るまでの「紆余曲折」がこれだけ鮮やかに演奏されると、最後の終結部も、たとえば、ベートーヴェンの第五のように運命に対する真の圧倒的大勝利というよりは、暫定的勝利というのか、「本質的問題は未解決で残っているが、とりあえず現時点では現世的にはうまくいっているので、難しいことは考えずに勝利の美酒を飲み干すこととするか」といった、どこか複雑な味わいが残る。少なくとも私は今日の演奏からそう感じた。

 

マーラーのことばかり書いたが、ベートーヴェンも良かった。そもそもソリストがデジュ・ラーンキというのがさりげなく豪華だと思う。ピアノの細かな技術や流派については全く不案内だが、明らかにアンドラ―シュ・シフなどと同じ、ウィーンを中心とする中欧文化圏の人のピアノという感じがする。そういうラーンキのピアノに、そっとデリケートに合わせつつ、それでも木管を中心に、随所で各楽器にしっかりと見せ場を作る伴奏を見ていると、さすが長年オペラの指揮者をされてきた人だなと思う。