フルトヴェングラー・ローマ放送響 「ジークフリート」「神々の黄昏」(1953年)

今日は、フルトヴェングラー・ローマ放送響の「指輪」の続き。「ジークフリート」の3幕の終わりと「神々の黄昏」の序幕と一幕の途中までを聴いた。

ジークフリート」の第三幕では、ブリュンヒルデは、アンドロギュノス的な女神であり、抱擁に戸惑う乙女であり、叡智を湛えた母であるという3面性をもつ複雑なキャラクターだと思う。この大役を担うマルタ・メーデルは当時40過ぎの女盛りで、声にも艶と威力があって素晴らしいが、最後のMir strahlt zur Stunde Siegfrieds Stern(今はジークフリートの星だけが輝く)の部分だけはフラグスタート絶唱に及ばず残念。

「神々の黄昏」の序幕の夜明けとその後の愛の二重唱は、自分にとって中高時代から離れがたい愛着を感じる音楽だが、とりわけフルトヴェングラーの演奏では、「滅びの予感を感じつつこの瞬間の愛を懸命に生きるほかない」という感じがいつも不思議とひしひしと伝わってくる。ショルティだとヒリヒリと痙攣するような官能、ベームだと白熱する灼熱の愛を感じるが、やはりフルトヴェングラーの儚い「倖せ」感が自分には一番しっくりくる。

https://www.melomania.com/en/wagner-furtwangler-der-ring-des-nibelungen-lanneau-du-nibelung-ww-ring-r.a.i-1953-5230?fbclid=IwAR2ZySU9SKidbCn6_UFz7N8C3PwKLz5B9SIBurJRaWH_ZGIiLbvaV8JpSdA