「影のない女」(第二幕、第三幕)

先週末に引き続いで、「影のない女」の続き。

 

結局、ホ―フマンスタールのあらすじ・台本は謎が多すぎて、一度見ただけではよく分からないというのが結論。時間をかけて何度も観ると、見えてくるものもあるのかもしれないが。

最後は、一応ハッピーエンドで、皇帝・皇后、染物屋のバラク夫妻のいずれも夫婦愛を歌い、産まれてくるであろう子供たちの合唱で終わるので、何らかの意味で「家族」について語っているのだとは思うが。

音楽的には、第三幕の後半は、もっぱら、試練に立ち向かう皇后のモノローグが凄い。ワーグナーの「指環」の最後の「ブリュンヒルデの自己犠牲」と同等か、それを上回るのではないかという音楽。

その過程で、目以外の部分が石になってしまった皇帝に対面する場面では、皇后はもはや歌ではなくてメロディー無しのセリフで絶叫する。その表現主義的な激しさは、シェーンベルクの「期待」やベルクの「ヴォツェック」に近い。作曲が行われた第一次大戦の不安な世相が聞こえるよう。これは紛れもなく20世紀のオペラなのだった。

私が物心ついた頃は、丸山真男吉田秀和といった人達の影響もあって、少なくとも我が国では、R.シュトラウスというと、「サロメ」「エレクトラ」と急進的に前衛化した後、「薔薇の騎士」で「華麗なる転向」を遂げて、画家でいうとルノアールのように人生の美しい部分にだけ目を向け、耳あたりはよいがあまり進歩のない作品を量産した作曲家といったイメージが強かったが、この「影のない女」だけでもそれを覆すにあまりある問題作と思う。

この2011年のプロダクションでは、強力な歌手陣、ティーレマン率いるウィーンフィルからなる音楽は素晴らしいと思った。他方で、演出は世間でも既に悪評が定着しているらしいが、意図・意味不明。

ただでさえ、象徴に満ち溢れて難解な台本なので、できれば台本に忠実な「普通」の演出で観てみたいと思う。今年の前半にウィーン国立歌劇場でやっていた上演の演出は評判が悪くないらしいのでブルーレイなりBS放送なりで観てみたいもの。