バーンスタイン生誕100周年  (ららら・クラシック)

NHKららら・クラシックでバーンスタインを特集した放送の録画を観た。30分の枠番組で生誕100周年というと、どうしても礼賛一辺倒になってしまうのは仕方がないとして、幾つか珠玉のエピソードもあった。

一つはN響音楽監督パーヴォ・ヤルヴィの語ったロスでのマスターコースでの経験。ヤルヴィに指揮の指導をしていたバーンスタインは出発予定時間を過ぎてもやめようとしない。堪り兼ねたスタッフが「Stop teaching, Lenny. We need to leave now!」とか声をかけたところ、バーンスタインは「I’m not teaching. I’m changing the life.」と。映画のセリフみたいだが、こんなのは格好だけで出てくるセリフではないのではないか。一期一会かもしれないが、明らかに未来に開花する才能を持っている若者(ヤルヴィ)を目の前にして、本気で大事なことを伝えようとしていたのだろう。

しかし、単に若者に優しかっただけでもない。指揮者の広上純一氏がアムステルダムで1月間アシスタントをしていたときは、「さぁやろうか」とスタジオに入って、マーラーの4番の交響曲をいきなりピアノで弾けと。指揮者としての譜読みができているかを試しているのだが、誰もがバーンスタインみたいにピアノが得意なわけでもないし、予告なしに言われても厳しい。広上氏が緊張もあって、しどろもどろでやっていると、「こうだ」といって、吸っていた煙草を右手の指に挟みながら自分でピアノで弾き始めて、それが素晴らしくて、広上氏は「指揮者というのはここまでできないといけないのか」と打ちのめされたらしい。おそらく、あの最後のマーラー全集中の4番をコンセルトヘボーのオケと録音した頃のことだろうか。広上さんは大変正直な人で「心身ともに非常につらくて死にそうな一か月だった」というような趣旨のことを語っていた。

あの90年夏のPMFでのシューマン2番のリハーサルシーンも出てきた。当時放送で見ていて、一緒に観ていた母親(音楽のことはあまり分からない)が、「この人はなにか異常に焦っている気がする」と感想を漏らした。当時は巨匠が不治の病に侵されているとは知らなかったが、今こうして見ると、余命を悟って若者たちに自分の知りえた全てを伝えたいという焦りがまざまざと伝わってくる。

実は、あの年のPMFの後、バーンスタインは東京でロンドン交響楽団との幾つか演奏会を予定していて、自分はブルックナーの9番をやる日のチケットを取っていた。初めて巨匠の雄姿をライブで、それもブルックナーの最高傑作で拝めるということで楽しみにしていたが、体調不良でキャンセルとなった。なぜか淡々と受け入れられた。当時はその直後に亡くなるとまでは思っていなかったが、また次の機会があると思っていたわけでもない。ただ、「あの人が公演をキャンセルして帰国するというのはよくよくのことで、それに文句を言っちゃいけないだろう」という気持ちだったと思う。

今でも残念といえば残念ではあるが、バーンスタインからは、この縁なき衆生の自分も既に数多くのものを与えられ、(残っている演奏記録を通じて)未だに与えられ続けていることに感謝こそすれ、これ以上欲張るのはなんだかという気分に比較的近いと思う。

https://www.nhk.or.jp/lalala/archive.html?fbclid=IwAR0hkPL-w7dJKEy7ctiVVzhM_1P8vLtGtTAj8ACjYulY0pxAciRfN6YRQMg