上岡敏之・新日本フィル・アンヌ=ケフェレック モーツァルト ピアノ協奏曲第27番

(2018年2月の書き込み(備忘)>

今週火曜日のNHKFMで、一昨年9月の上岡敏之さんの新日フィル音楽監督就任披露演奏会の録音が放送された。プログラムにはモーツァルトの27番の変ロ長調のピアノ協奏曲K595があった。

f:id:strassberger:20191029215603j:plain

昔から、この曲の持つ、きわめて単純な編成とメロディ、独奏ピアノの水晶のように澄んだ響き、優しさと哀しみが微妙に交差を繰り返す調性に魅せられてやまない。

わずか30分足らずの曲だが、聴いていると、作者の魂がこの世の肉体を離れ、自由になり、楽しかった思い出、心を突き刺す鋭い悲しい思い出等も含め、人生を回想しつつ、次第に諦観に沈み、最後のロンドでの無邪気な子供のような境地に至っていくのを感じる。

ジャンルはおよそ異なるが、これに最も近い印象を持つ作品は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」である。「銀河鉄道」の登場人物たちが感じる、心を刺す悲しみ、諦観、他人の幸福を願う無私の心といったものを音楽にすると、このK595に近い響きになるのではないかと思う。

変ロ長調という調性は、半音下のイ長調のような艶やかさも、フラットを一つ増やした変ホ長調のような英雄的な華やかさもなく、地味だが、水晶のように清らかで、同時に、どこか生命力が下降していくような、不思議な響きの調性だと思う。

この演奏会では、アンヌ・ケフェレックというフランスの女流のソリストもピアノ響きが大変美しく豊かで、そこに例によって上岡さんがピタッと完璧な伴奏を付けていく良い演奏。でも、ケフェレックさんのピアノは、この曲のイメージに比べて、少し生命力に溢れすぎているかもしれないと思った。贅沢を承知での発言であるが。

私の個人的な好みでは、80年代に内田光子さんがジェフ・テイト(彼も今は故人である)とイギリス室内管と組んだものが禁欲的で、この曲にあっていると思う(というより、私自身がこの曲のそうした聴き方を彼らの演奏から学んだという方が正しいが)。