内田光子 モーツァルト ピアノ協奏曲第27番

f:id:strassberger:20191029215603j:plain


久しぶりに内田光子とテイトのコンビでモーツァルトの27番のピアノ協奏曲を聴いた。

以前、ユング学者の河合隼雄氏が「モーツァルトは、彼自身の音楽の犠牲者のような人です」という趣旨のことを言っていたが、すべての苦難を乗り越えて悟りの境地に入ったような、この曲を聴くと、その通りだったろうと思う。

この演奏の内田光子は、一切余計なことをしないで、ひたすら音楽に仕える巫女のようで、一番最後の和音に至るまで神々しい。

この曲を演奏会で取り上げた際、本来は、この曲の前にジュピター交響曲をやる予定だったところ、この勝利のハ長調交響曲を聴いてしまうと、その後に27番は弾けないという内田の強い意向で順序を入れ替えたという話だったと思う。それだけ聞くと何を大袈裟なと思うが、演奏を聴くと、内田の言うことも分かるような気がする。