フェリアー・ワルター マーラー・大地の歌(1948年ライブ)

久しぶりにマーラーの「大地の歌」の終楽章「告別」を聴いた。フェリアーとヴァルターのコンビだが、48年のNYでのライブ。細かく聴き比べたわけではないが、名盤として有名なDECCAとのスタジオ録音と比べて、フェリアーの声がより清冽で、まっすぐ飛んでくる感じがする。
 
この楽章の歌詞は、古の中国の詩人、孟浩然と王維の漢詩によっているらしい。中高時代に漢文の授業で漢詩もそれなりに読まされたので、漢詩の世界の「この世の憂いを酒と音楽(琴)、美しい自然で忘れよう」とか、「都で出世できなかったので故郷に帰り、書画に親しんで生きて行こう」といった価値観は何となく分かる。
 
マーラーのこの楽章の歌詞も一見同じようなモティーフが並んでいるが、漢詩の世界との大きなギャップを感じるのは、マーラーの場合、単に出世その他に敗れて田舎に隠遁するというのではなく、この世からの別れ(=死)を直接的に意識している点にある。
 
たとえば「我が友よ・・・私は、この世(auf dieser Welt)では幸せを得られなかった!どこへ行くかと?山へとさすらうつもりだ。」の部分。漢詩のテキストを確認して考証しているわけではないので100%直感での話だが、おそらくdieser Weltと訳しているある部分が漢詩の原文オリジナルでは都での出世競争程度のことで、単にそこで上手くいかなかったので山里に引き籠ろうという程度のことではなかったのではないか。
 
それが、19世紀後半のドイツ語圏の知識人特有の哲学的感性の中で、漢詩の翻訳者もマーラーも、「この世では幸せを得られなかった」=「あの世に行くしかない」と受け止めたのではないか。曲を聴くと、「山へとさすらうつもりだ」と言うのは死の暗喩にしか聞こえない。
 
終結部の、「この、いとしき大地に、見わたす限り、春の花が咲き乱れ、新緑に燃える時を!どこまでも、とこしえに青き光、遥か彼方まで!とこしえに・・・とこしえに・・・!」というのも、単に、漢詩的には「国破れて山河在り」といった安定して揺るぎない世界観の表明だったのかもしれないと思う。それが、心臓を病み死を意識していたマーラーに感受性にかかると、ドミソラというどこか彼岸の世界を思わせる和声の中で、まもなく去らねばならない「この世」はなんて美しいのだろうかという、バッハ以来の近代西洋音楽のページの中でも屈指の絶唱になる。
 
漢詩を自分の思想と状況に引き寄せで読んだという意味では誤読かもしれないが、それによって何とも素晴らしい作品を創造したものかと思う。
 
感性や思想の違いによって、オリジナルの外国の文化が変容していくことは無意識のうちにいろいろ起きているように思う。問題は、そこで変容したものが、それ自体として生命力をもって輝くものとなっているかどうかということかと。
 
その意味では、以前、小澤征爾がよく語っていたように、極東の我々が西洋音楽に取り組むということは一つの実験だと思う。特にドイツ語圏の人達は様々な意味で日本人とはかなり違う感性・思想傾向を持つ人達のように思うので、ドイツ語圏の音楽を日本人が再現するとなると、無意識のうちにかなり異なったものになるように思う。そこに新たな付加価値が認められるようになると面白いのだが。
 
 
(注)上記の訳は「オペラ対訳プロジェクト」のものをお借りしています。