バーンスタイン・ウィーンフィル モーツァルト交響曲第39番

80年代のバーンスタインの録音は大抵聴いているが、モーツァルトの39番は、80年代半ばに自分としての絶対的なベスト盤(ブルーノ・ワルターとニューヨークフィル)と出会って以来、ほとんど他の演奏に目が行かなかったため、未聴だった。

amazon primespotifyにあるので今回聴いてみたが、第二楽章がユニーク。冒頭のヴァイオリンの「ミーファーソラーファミ」の後、「ラーソ、シーラ、ドーシ、レード、ミ、ミ、ミ―(下の)ミ」と高い音程によじ登って行って、最後「ミ」で降りてくるところで、ため息のように、自然にテンポを緩めている部分から耳を奪われる。
大げさにやると物凄く下品になるので、ほとんど気づくかどうか分からないくらいな感じで。この4小節のフレーズは、この楽章で何度となく繰り返されるが、そのたびにこの微妙なテンポの揺らぎが繰り返される。
その後、短調のフォルテに転じた部分も、今よりも人数の多い編成で弾かせて、豊かな低音が素晴らしい。
モーツァルトというのは、その時代までに存在したあらゆる作曲技法上の可能性を極めつくした結果、同時代には芸術面での理解者は誰もいなくなった中、なおも、文字通り死の日までより高みを目指して闘いを続け、疲れ果てて死んでいった人だと思う。
晩年の手紙を読んでいると、家族への他愛もない連絡や借金の申し込みの中に、そういう前人未踏の境地に達してしまった人間の孤独を感じる部分があるが、この39番のアンダンテでも同じ訴えをしていたのだなと気づく。
今でも、39番の演奏全体としては、ロマンチックで奇跡のような生命力に溢れたブルーノ・ワルターのものの方が好きだが、第2楽章だけはバーンスタインのものも別途の魅力を感じる。
ついでに言えば、カップリングになっている40番の第一楽章も、何とも優美で絶品。ジャケットの写真も、初めて販売されたときのものだが、不遇な若い天才作曲家へのtributeとして魅力的だと思う。