佐渡裕・トーンキュンストラー管弦楽団 ブルックナー交響曲第八番

日本指揮界の期待の星、佐渡裕とトーンキュンストラー管弦楽団ブルックナー第八のCDが発売されるらしい。
Spotifyで既に聴けるので聴いてみた。全体に高水準の演奏と思った。先般書いたジュリーニウィーンフィルのライブのような異常な高みには及ばないが、それは仕方がないだろう。
意外にも、本場の評価(ウィーン新聞。2019年の演奏会への批評)は更に高い。トーンキュンストラーというのはウィーンでも愛されている楽団で、そこのChefを任されている以上、一定の評価があるのは当然とは思うが、今回の記事はタイトルからして「救い主の苦難の道。率直で、力づくで、生々しく」、このカトリックの都の誇るカトリックの作曲家の畢生の大作のパフォーマンスへの評価としては、ほとんど絶賛といってよいのではないか。
同じ時期にライブ録音を進めていた(一般的評価では格上であろう)ティーレマンウィーンフィルをわざわざ引き合いにだし、「佐渡は弦楽器により暗く、時に血のように赤い涙を流させただけでなく、フォルティッシッシモは極限まで鳴らした。これで幾つかの声部は闇に消えたが、この『交響楽の王冠』が傷つけられることはなかった」とかなり興奮気味に伝えている。
ウィーンでは長く愛されていたバーンスタインの愛弟子だったことも言及し、この見栄えも良い東洋人指揮者を盛り立てようというマーケティング的なセンスがないとは思わないが、日本の経済力が他を圧倒していた時代とは違うので、彼が日本人のマネーを引っ張ってくるということへの期待だけではないだろう。
ウィーンというのは固陋で排他的な都であるという逸話には事欠かない。自分自身、旅行の際にエレベーターで一緒になった老婆の「この糞ったれ日本人どもが」という独り言を聞いたこともある。他方で、この旧ハプスブルクの都は、外から新しい血、新しい才能を、回春薬のように受け入れて、活力を維持してきた伝統もあるように思う。音楽界でも、しばらく前の小澤征爾、その前のバーンスタイン然り。ボヘミアの辺境から現れた、あのグスタフ・マーラーでさえ、その一人と言えなくもない。
佐渡に対する期待も、日本マネーというよりは、彼の中に、外から新しいものをもたらす活力と才気を見ているのではないか。
 

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