【バーンスタインのマーラー第九⑦】東大オケのマーラー第九(2)

東大オケマーラー第九の話はまだ終わらない。その後、約10年後、ミュンヘンに滞在していたときに、演奏会場でしばしば会う日本人のSさんという知り合いがいた。私より少し年上だったが、私と同様、絵に描いたようなクラオタお兄さん。西洋史の専攻で、ミュンヘン大学で歴史の博士号取得を目指していた。西洋の音楽、文化、社会あらゆるものについて深い造詣があり、演奏会後に、市庁舎前のDonis`lという行きつけのドイツ料理屋でRadler(ビールとサイダーを混ぜた飲み物)を飲みながら、演奏会の感想戦と同時に、日独の経済・社会・文化の違いについて話をするのは、至福の時間であると同時に、自分にとっては非常に貴重な学びの機会だった。

このS氏とは、当然、このマーラーの第九についても話題になった。自分で初めて生で聴いたのは東大オケの演奏会だったという話をしたところ、この年上の友人が何か急に動揺し始めた。何かと思って話を聞くと、このマーラー第九の演奏会にトランペット奏者として参加していたが、S氏はあがり症で、大変重要な部分のソロが怖くて仕方がなかったとかいう話だったと思う。

そう言われるとすぐに思い当たるが、第三楽章、あのダンテの煉獄を彷徨うような荒涼とした音楽が長々と続いた後、突然、天国のような光景に変わる部分。そこの最初の8小節くらいがトランペットのソロで、第四楽章の聖なる雰囲気を予告するメロディーを高らかに吹く。全曲の中でも、バーンスタインベルリンフィルが落っこちた第四楽章のトロンボーンのパートと匹敵する名場面。西洋の宗教画でよくある、天空を舞う大天使が吹くラッパを思わせるシーンで、ラッパ吹きなら死ぬまでに一度は吹きたいパートだろうと思う。

この時のS氏の話はいつになく歯切れが悪く、本番で失敗したのか、あるいは、練習で失敗したので本番は別の人に取って替わられたのかよく分からなかったが、「自分は肝心なときにプレッシャーに負ける駄目な人間だ」「トランペットを吹くのはやめた」「人間、勝負の瞬間というものはある。あなたはどうか負けないでほしい」等々、いつになく深刻な話となってしまい、Radlerも苦くなって、その日はお開きになったと思う。

東大オケの演奏会自体は、早川氏のパンフレットが印象的で、残念ながら演奏自体の印象はあまり覚えていない。第三楽章のあのトランペットソロが間違えたら印象に残りそうなものだが、そういう記憶もないので、S氏の話は本番の話ではないのか、あるいは演奏会が複数回あって別の会場でのことだったのかと思う。

S氏とは当方の帰国後、忙しくしているなかで連絡が途絶えてしまった。本業の西洋史の研究でも、ラテン語ギリシア語、古ドイツ語を駆使して史料を読まなければならないということで、何か壁にぶつかって苦労されていた印象があるが、元気にされているといいなと思う。