ウラッハのモーツァルト・クラリネット五重奏曲

ウラッハとウィーンコンチェルトハウス四重奏団のモーツァルトクラリネット五重奏を初めて聴いたのは、いつの頃だろう。確か、中3か高1の頃、FM放送でかかっているのを聴いたのが初めだったと思う。
 
当時80年代はまだ、クラシック音楽の評論でともすると「古き良きウィーンを思わせる」といった表現が安易に使われていた時代だったが、ウィーンフィルのレコードを聴いても、少なくとも、当時我が家にあった安物のオーディオ機器では、ベルリンフィル等と比べて音色に顕著な違いは聴き取れず、生意気な中高生であった自分は、「ウィーン風」を過剰に有り難がる評論家といものは、一種のフェティシズムに陥っているだけではないかと疑っていた。
 
そうした中、ウラッハモーツァルトを聴いたときは「少なくとも普段聴いているものと全く違う」とはっきり感じたのを覚えている。
 
そもそも第一楽章の出だしからして、かなりゆっくりとした感じで始まり、曲想に応じて、テンポが揺れながら進んでいく。第二主題をクラリネットが吹いている下での伴奏の弦の「ポン、ポン、ポン」というピッチカートも、均一でない、何とも不思議なリズムで刻まれる。夢のように揺らぐというと、ちょっと大げさかもしれないが。
 
例の第二楽章の、それこそ夢のようなアダージョも、全体に、過剰にエクスプレッシブになることなく、曇りガラスの向こうから聴こえてくるような、淡く、やさしいパステルカラーのような音楽である。
 
第三楽章も、音楽が一瞬止まったあと始まる2番目のトリオは、グッとテンポも遅くなり、他で聴くことがない、第二楽章と同様、淡く、やさしい音楽。
 
そうした部分に限らず、全体に、メトロノームで図ったリズムとは全く違う、テンポの微妙な揺らぎが随所にみられる。
 
思えば、室内楽も、ジュリアード四重奏団、アルバンベルク四重奏団をはじめとするをはじめ、各団体の演奏の精度が格段にあがり、リズム・和声の正確さがそのまま演奏の威力につながる音楽(たとえばバルトーク)には格段の進歩につながったのかもしれない。ただ、それが、モーツァルトクラリネット五重奏のような音楽についてはよかったのかは正直疑問なしとしない。
 
今でも、ウィーンフィルの演奏を生で聴けば、他の都市のオーケストラとは明らかに違う楽器の音色(特に弦)を聴き取ることはできる(性能のよいオーディオ機器なら録音でも分かるのかもしれない)。しかし、ウラッハとウィーンコンチェルトハウス四重奏団のような、音楽の「夢のような揺らぎ」というものは、ウィーンフィルや、ウィーンフィルの奏者がやっている室内楽を聴いても見つけらなかった。彼らも、(その独特の音色はそのままに)世界の他の都市の音楽家と同様に、正確で揺るぎのないリズムの音楽をやっている。
 
この録音には、そういう「正確な」音楽とは違う音楽が、誰でも分る形で残されている。