ラフマニノフのピアノ協奏曲3番

 

BSで録画していた昨年のベルリン・フィルの大晦日コンサートを見た。カバレフスキ―、ウォールトンの組曲ドボルザークのスラブ舞曲、ブラームスのハンガリアンダンス等、肩は凝らなくてよいのかもしれないが、ベルリン・フィルを堪能するには少し物足らない、おもちゃ箱でもひっくり返したようなプログラムの中で、真ん中のラフマニノフのピアノ協奏曲3番は凄かった。

 

ソリストは、ダニール・トリフォノフというロシアの若手。チャイコフスキーコンクールの覇者でここ数年大活躍されているようで、私は初めてだったが、この人が凄かった。ピアノの技術的なことは全く不案内だが、ロシア出身のピアニストは、大昔のホロヴィッツ、ギレリス、もう少し最近でも若いときのアシュケナージとか、鋼鉄の響きというか、なるほどピアノというのはかなりの部分が金属で出来ているのだなということをしみじみ納得させるような、すごい音を出す人が多いと思う。ブーニンだって、いつも随分変わったことをいろいろやるので、ついそちらに気を取られるが、少なくともショパン・コンクール優勝直後の若い頃は、フォルテの部分は、結構バネがあるというか、ピアノ全体がビーンと響いているような良い音を出していたと思う。トリフォノフは完全にそういうタイプ。これまたロシア・ピアニストの大先輩であるラフマニノフの曲自体が、そういう響きを前提にしているというか、鋼鉄バーンというフォルテ、あるいは、ピアノでもトライアングルを打ち鳴らしているようなキラキラした音とかが出せて初めて最大の効果が得られるように書かれているのだなと実感。

 

また、弾いているときの様子も印象的。長身を伸ばし、正しい姿勢で余計な動きはせず、ほとんどの間は目を閉じて、瞑想するような表情。それにも関わらず、高い鼻からポタポタ汗が流れて、苦しそう。トルストイの小説に出てくる神を求めて修行する修道僧のようにも見えるし、逆に魂を悪魔に売ってしまったような破戒僧のようにも見えて不安になるが、演奏が終わって笑顔になると、普通の20代の青年に戻り、見ていてホッとする。

 

ラトルとベルリン・フィルも、期待の若手の引き立て役に専念することに余念がない感じだが、特にラトルは、もともと、論理的にじわじわと展開・発展していくといった音楽より、一つ一つは魅力的だが、統一性がないパーツをコラージュしたみたいな音楽を上手に見せる方が得意な人だろうと私は前から思っている。この曲はまさにその種の音楽で、途中の木管のソロでは名手たちが次々と技を競い、精細に富んだ音楽を繰り広げていた。自分自身、この曲、3年前にオーケストラで弾いたが、いろいろと魅力的なメロディが多い一方で、変拍子とルバートが多くて、かつ、ピアニストの自由なテンポに付いていかなければいかないので、ものすごく難しかった記憶がある。

 

こういう優れた演奏で聴くと、ラフマニノフの音楽がより一層明瞭に聞えてくる。たとえば、

・第一楽章の冒頭のような、チャイコフスキー風の、ため息をつきつきといった、メランコリックな部分

・途中に随所にある、絵画でいうとカンディンスキーみたいなキラキラとした、でも同時に無機質な感じもする部分

・第三楽章冒頭のような、コザック隊の行進のような感じの民族風行進曲といった部分

・第三楽章の終わりに弦が突然奏で始める、妙に勇壮で、堂々たるメロディ(ヨーロッパというよりは、ロシアの大地の底から響いてくるような、不思議なメロディ!)

といったものがごっちゃ混ぜになっていて、そういう混沌さに、ロシアの音楽や文化の豊かさを感じる。

これに比べると、たとえば、バッハ、ベートーヴェンブラームスブルックナーといったドイツ語圏の作曲家は、怒るにしても、勝利を叫ぶにしても、非常に理路整然と整理されていて、論理的に展開していく。同じオーケストラやピアノという楽器を使っていても、かなり別物という感じがする。