フルトヴェングラーのジークフリートの葬送行進曲

すべて60年以上前の古いものであるにもかかわらず、フルトヴェングラーの幾つかの録音は今でも魔力的としか言いようのない独特の魅力を持っていると思う。たとえば、1954年にウィーンフィルと入れたワーグナーの葬送行進曲のスタジオ録音。
以下のYoutubeでいうと3:50あたりからの中間部(スコアでは「徐々に霧が立ち込め、徐々に舞台全体を覆う」とある箇所)。執拗に上を目指してヴァイオリンの三連符の音型が、木管金管・弦の低音楽器の下降音型と拮抗を繰り返しながら、微妙に転調を繰り返しつつ、クレッシェンドを続け、最後には地の底を覗き込むようなチューバを中心とした低音楽器の音型(ファー―レシララソ)に呑み込まれていく、時間にして僅か30秒ほどの推移だが、どんな英雄的な行動によっても避けることができなかった運命の重みといったものを感じる。
https://www.youtube.com/watch?v=zCE_aYJNfQo
もちろん、曲は、この直後に長調に変わり、トランペットが高らかに指輪の動機を高らかに鳴らし、葬送行進曲としてのクライマックスに向かうことになっていて、そのあたりの部分はどんな演奏でも大体悪くないが、上記の部分は、フルトヴェングラーの演奏以外では印象が薄い。
引き合いに出して申し訳ないが、有名なショルティの録音(下記Youtubeの3:30あたりから)は、もちろん同じ楽器が同じ音型を弾いているのだが、なぜか薄灰色で淡々と進行し、最後のチューバのフレーズも臓腑にグッと迫る感じが全くしない。同じウィーンフィルで、録音年代で10年ちょっとしか違いがないのに、どうしてこんなに違うのか。この葬送行進曲自体はリング全曲でも大事な部分ということで、例のショルティ全曲録音のメーキング(ドキュメンタリー)でも、プロデューサーのカルショーがスタジオでショルティにいろいろ意見を延べて何度も録り直していたと思うので、決しておざなりにされていた訳ではないはずなのであるが。
https://www.youtube.com/watch?v=SXIXI1u0X9c
これは実はショルティだけでなく、カラヤン等の録音でもあまり変わらない。ベームバイロイトでのライブではホルンやチェロ等の中声部が強調されていて、それはそれで緊迫感はあるが、どうしようもない運命の重みのようなものはやはり感じられない。実はテンシュテットが若干近いが、その後の展開ではしゃぎ過ぎて、何となく安手な映画音楽のようになってしまっている。
実はフルトヴェングラーの演奏も常に同じではない。全体としての傾向は似ているが、ミラノやローマでの全曲録音ではここまで執拗な表情になっていないし、戦前のベルリンフィルとの録音はテンポがずっと速くて、やはり感銘度は劣ると思う。最晩年のスタジオ録音でようやく実現した境地なのかもしれない。