バーンスタインのモーツアルト・レクイエム

晩年のバーンスタインというと、振幅が極端に大きい巨大な音楽というイメージが強くて、このレクイエムも基本はそういう傾向のものであることは否定できないのですが、他方でびっくりするくらい繊細な部分もあります。一番わかりやすいのは、終曲のLux Aeterna(永遠の光を)のところ。その直前のsempiternam!が神秘的に終わったあと、Lux Aeternaが弦楽器でゆっくり始まるところの無限の優しさには、いつ聴いても心を打たれます。

おそらく最近はあまり聴かれなくなっている録音と思いますが、モーツァルトが完成できなかったDomine Jesu以降の曲も大変活き活きしている点でもよい録音と思います。当時流行っていたBayer版。

それにしても、妻の死後は、ボエームの最後のシーンすら妻のことを思い出してまともに観つづけることができなかったというバーンスタインが、この録音の販売に際して、その在りし日の写真をジャケットに使うことをよく許したなと思います。



本の感想:Dearest Lenny

https://www.theguardian.com/music/2019/aug/17/leonard-bernstein-japanese-love-letters-hashimoto


6年前にこの書評を見て購入後、長く積読していた本、Dearest Lennyを読了。

バーンスタインの生涯については、同様に、米国議会図書館にあるレナード・バーンスタイン・コレクションに保管されているバーンスタインの手元に残された手紙に基づく、先日亡くなったハンフリー・バートンによる包括的な評伝があるので、この本はあくまで、天野和子と橋本邦彦という二人の日本人のファンと巨匠の交流エピソード集ぐらいに思って読み始めましたが、良い意味で期待を裏切られました。


戦後日本の社会的文化史、アメリカの文化外交、コロンビアやドイチェグラモフォンといった音楽産業の経営戦略、巨匠のマネジメント会社アンバーソンの組織の発展、1985年の広島での平和コンサートの経緯、PMF発足の背景に天安門事件があったことなど、驚くべき事実がいろいろ出てきます。加えて、天野和子の書簡についてはその揺れ動く気持ちが著者の女性ならでは感受性で分析されていて読み応えがありました。


とりわけ、
・天野和子が、戦後長らく限られたレコードなどを通じて憧れ続けてきたバーンスタインと1960年の初来日で初めて会う場面、
・1979年の来日時に、それぞれ配偶者が病魔に倒れた巨匠と天野が帝国ホテルで再開した時のエピソード、
には心を動かされました。


1979年の来日と言えば、東京文化会館でのショスタコーヴィッチの第五交響曲というCDにもなっている有名な大熱演があり、徐々に円熟の兆しを見せつつもエネルギーに満ちた時期と思っていましたが、巨匠の内面は全然違う風景だったのかなと思いました。


この後、バーンスタインは、配偶者を失った経験も糧に更に円熟した素晴らしい音楽を10年余りにわたって創り続けることになります。


天野の手紙でもっとも感動的なものは、その後の1985年のイスラエルフィルとのマーラー九番の大阪公演の当日、宿泊先のホテルで深夜に書かれたものと思います。この伝説的な公演については、吉田秀和氏による有名なとても美しい演奏会評がありますが、天野の手紙は巨匠との交流を通じたパーソナルな心情も加わり、更に感動的な文章です。極東からの一通のファンレターから始まった交流が、マーラーの音楽を通じて心の奥底の殆ど霊的な領域で交流するかのような関係に至ったことが分かります。


天野より若い橋本との物語は、 1979年から始まりますが、最初は読んでいてハラハラする橋本からのストーカーめいた連日の手紙も、バーンスタインが大きく受けとめたようで(バーンスタインからの返信は記録にないので詳細は不明ですが)、これまた巨匠の死まで続く関係となります。


とりわけ、1979年のショスタコーヴィッチ五番(東京)、マーラー九番(ベルリン)、1980年のトリスタン (ミュンヘン)そして再び1985年のマーラー九番(東京)と、バーンスタインの中でも特別な名演の前後に、橋本との様々な関わりがあったお陰で、その頃のバーンスタインの様子がよく分かります。


私は1985年の来日あたりまではまだまだ巨匠もギリギリ元気だったと思っていましたが、橋本とのエピソードでは、このあたりから本人は徐々に老いと衰えを感じ始めていたことが分かりました。


また、その時期に橋本が垣間見た、バーンスタインとクライバーやゼフィレリの地中海リゾートでの交流は、世俗から隔絶した、芸術界の王侯貴族の世界がどんなものだったのかを教えてくれます。少なくとも1980年代までは、こういう世界があったということを。


以上、冒頭のGuardian の書評にある通り、まさに、Passionate, Tender and Heartbreaking でした。飛行機で世界どこにも行ける上に、インターネットで簡単に連絡が取れる現代と違う時代の、手書きの手紙で始まった交流が紡ぐとても美しい物語です。


その後、著者(吉原真里さん)自身による日本語版も出版されているようですが、英語版は、戦前生まれの天野の極めて洗練された英語力による素晴らしい手紙、この本でも指摘されているように充分に意図は通じるが少しこなれていないところの残る英語がかえってストレートに思いを伝える最初の頃の橋本の手紙を原文で味わえる良さがあると思います。

カネラキスの英雄の生涯、死と変容、ラベル・左手のためのピアノ協奏曲

最近のネット事情のおかげで、欧州でのカネラキスの演奏活動がほぼリアルタイムで追いかけられる。

 

一つは今年の10月のオランダ・ラジオ・フィルとの英雄の生涯

さすがにこの曲くらいになると、ラジオ・フィルも日頃聴きなれているカラヤンベルリンフィルあたりの超高機能サウンドの圧倒的な輝きまでは至らないが、全体を一気に聴かせて退屈させないのはさすが。

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もう一つは本人のFacebookポストでは日本時間12月5日にアップされているのでおそらく12月4日だと思うが、スイス・ロマンド管弦楽団デビューの演奏会。こちらはベートーヴェンの第二交響曲ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲、R.シュトラウス死と変容

ラヴェルはサラ・オットとの息の合った演奏で、この日の3曲では一番聴きごたえ。死と変容は、このネットでの音声の録音の問題なのか、スイス・ロマンドのパワー不足か、分離がよく奇麗な部分がある一方で、フォルテで盛り上がるところは少し痩せてサウンド的にやや物足らない感はある。しかし、この曲をメインに持ってくるあたり、個人的には好きとしか言いようがない。ベートーヴェンは現代風のスタイリッシュな演奏だが、曲が第二だとよく合っていて感じ。

 

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この少し前の11月30日あたりは、オランダ・ラジオ・フィルでメシアンのトゥーランガリア交響曲を振っている。部分動画がインスタにアップされている。八面六臂の活躍とはまさにこれ。

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カネラキス・フランス国立管弦楽団のブラームス4番

先日、カネラキスのブルックナーの感想で、ブラームスの第一などをやったら壮年期のベームベルリンフィルの録音みたいになるのではと書いたが、ブラームスの第4番の映像があったので視聴。

 

まず冒頭のシの音から驚き!あのフルトヴェングラーの「吸い込まれるような」と言われたシの音を出している。このシの音はチェリビダッケが受け継いでいたが、その後はこういうやり方はすっかり廃れてしまったように思う。

 

基本、くっきり、きっちりとした骨格の音楽作りで、どこかベームかセルを思い出させるのだけど、オーケストラがフランスの楽団のせいか、とくに第一楽章はその後も弦がとてもよく歌って美しい。

 

その後の3つの楽章もおかしなことは何一つせず、正統派の歩み。

 

もしベルリンフィルとかバイエルン放送響、あるいは、ウィーンフィルを振ったらどんなブラームスになるのか、楽しみである。

 

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ジョナサン・ノットと東京交響楽団のマーラー九番

ジョナサン・ノットと東京交響楽団マーラー九番行ってきました。

第二楽章の麻薬でラリってるような奇怪なワルツの部分と、これまた凄まじい勢いで燃えさかる業火の中を行くような第三楽章が圧巻。東京交響楽団もかなり無理なテンポにも高性能を発揮して見事。

f:id:strassberger:20251122213247p:imageこの曲も、バーンスタインのように生死をかけたドラマもあれば、ジュリーニのように慰めに満ちた暖かな歌となった演奏もあり、今日のノットのように表現主義的なものまで、人によって随分と読み取るものが違うので飽きが来ない。

最初の武満のセレモニアルは雅楽の笙が活躍するが、舞台裏のP席だったので、自分のすぐ後ろでこの楽器の権威という宮田さんという方が吹いていて、電子楽器のような不思議な音がよく聞こえました。

この雅楽の音色と西洋のオケを組み合わせるのは武満の十八番の手法だが、戦後の昭和から平成くらいまでの公共建築と発想が似ていると思う。例えば、皇居宮殿や首相官邸。ところどころに和の素材を取り入れつつも基本は西洋建築で、全体に重厚よりは透明を重んじるところ。個人的には、神社仏閣のように和なら和、迎賓館や国会議事堂のように西洋風ならそうとはっきりした建築の方が好きだが、平成から令和に代わるあたりから、万博の木のリングのように、これまでの折衷スタイルとは違う、大胆な主張のものも出てきているように感じる。と言っても他には隈研吾氏だけかもしれないが、彼のものがいろいろなパブリックなところで採用されること自体、少しかつてからは変化が出てきているような気がする。

カネラキスのチャイコフスキー第五

ザッピングではなく、五番一気に全曲聴きました。

凄い!

カラヤンなど巨匠のようにぎっしり詰まった音楽と書きましたが、カラヤンというよりテンポなどの外形はムラヴィンスキーが近いかも。速くて引き締まっていて剛性の強い響き。あるいは、昨日も書いたが、壮年期のベームベルリンフィルと入れたエロイカとかブラームスの第一に近い種類の音楽と感じる。

Instagramでは、過小評価されている音楽という質問に、ツェムリンスキーのフィレンツェの悲劇というオペラを挙げていたが、残念ながら聴いたことのない作品。このキレッキレのチャイコフスキーを聴くと、オペラならベルクのヴォツェックやルルをやっても凄いのではと思う。あとは、全く違うが、ドン・ジョバンニとかカルメン、トスカとかも期待できそう。要は劇的な音楽ということか。

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カネラキスのブルックナー第九

素晴らしいブルックナーの第九!

気持ち速めのテンポだが、何一つおかしな仕掛けをせず、着々と進む。音だけ聴かせたら、ギュンター・ヴァントがNDRベルリンフィル以外のドイツの地方オケを振ったライブだと言っても信じる人がいるのではないか。あるいはサバリッシュでもシュタインでもライトナーでもいいが、そういうドイツの正統派のカぺルマイスターのブルックナーの系譜の演奏。ブラームスの一番とかやったら、壮年時代のベームみたいな演奏になるのではないか。

オーケストラもとても充実していて、しかも、団員の気持ちが乗っている感じがする。第三楽章が特に素晴らしいが、特に後半の大破局の後の天国的な音楽のところでアップになる、おそらく一番ホルンを吹いている眼鏡の女性が感極まって、泣きそうな顔で吹いているように見えるほか、一番フルートの女性は逆に楽器を振ってノリノリで吹いている。そう女性の割合がとても多いような気がする(ホルンはほぼ全員女性)。

カネラキスとオランダ放送響のコンビ、他にも、英雄の生涯とかシベリウスもあるので順番に聞いていきたい。

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