ジョナサン・ノット・東京交響楽団 マーラー 第七交響曲

ちまたで評判のノットと東京交響楽団マーラー。今回は第七番。

前半がベルク。オペラ「ヴォツェック」の一番緊迫した場面のような音楽が20分近く続くといった感じの非常に表出力の強い音楽。感心するとともに少しくたびれる。

メインのマーラー、とりわけ七番ということで、ベルクに比べると少し肩の力の抜けたロマンチックな音楽を期待したが、いい意味で期待を裏切られた。

ノットのは超快速テンポで、様々な楽器のパートソロを際立たせた、非常にメリハリのついた、鮮やかなマーラーだった。シューマンブラームスワーグナーブルックナーといったロマン派音楽の流れの先にある音楽というよりは、ベルクはじめ新ウィーン楽派の先駆けの音楽。ロマンチックというよりは、表現主義的な音楽。

第一楽章をはじめ、非常に高速テンポで進むノットに、しっかり応える東京交響楽団の合奏力にも感心。冒頭のテノールホルンをはじめ、金管木管のパートソロも安定感あり。

自分がマーラーを聞き始めた80年代は、マーラーでも第7番ともなると頻繁に取り上げられる演目ではなく、FM放送で聴く本場のヨーロッパのオーケストラのライブも合奏の精度は今日の演奏会のようなものではなく、細かなところは曖昧な感じの演奏が普通だったが、日本のオーケストラでもこんな精度の高い演奏が普通に行われるようになったことに改めて驚く。

 

https://tokyosymphony.jp/common/tso/images/pdf/concerts/tk11.pdf

 

ニューヨークMETのフラグスタート

ニューヨークMETのロビーの地下にある「歴代、METに出演してきた音楽家の肖像・胸像」コーナー中のキルステン・フラグスタートの肖像。

20世紀前半の不世出のワーグナー・ソプラノとして名高いが、残念ながら、完全に盛りを過ぎた1952年のフルトヴェングラーの「トリスタンとイゾルデ」の録音(「高音」が出ないため、その部分だけ編集で一部にシュヴァルツコップの声を貼り付けたとかいう逸話すらある)でしか聴いたことがないため、どことなくババ臭いイメージ(失礼)しかなかった。この若々しくて綺麗な肖像画にはびっくり。これでイゾルデとかブリュンヒルでとかバリバリ歌ったら、さぞ人気がでるだろうな。

ノルウェイ出身の人だが、1930年代にMETで彗星のように現れて、アメリカで世界的な名声を確立した人だったらしい。この肖像画の説明で、「当時、テノールのMelchiorとの名コンビによって多大な収入をMETにもたらし、METが30年代の大恐慌を生き残るのに大いに貢献した」とあるのが、この国らしくて微笑ましい。

それにしても、このコーナー、トスカニーニの胸像があったが、マーラーがないのは何故なのか。たしかリンカーンセンターのどこかには、あのロダン作のマーラーもあったはずなのだが。フラグスタートのように収入面で貢献しないとこのコーナーには置いてもらえないのか。

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小澤征爾・ベルリンフィル(ライブ)  ベートーヴェン・交響曲第七番

若い頃の小澤征爾ベルリンフィルとやったベートーヴェン7番(ライブ)。フィナーレ(29:30~)が途中から驚くほど速くなる(34:17あたり以降)。最後は、クライバーフルトヴェングラーのライブよりも速く、凄い。本人はこの演奏の出来に不満だったというが。

https://www.youtube.com/watch?v=tbVsJcX8V5w&fbclid=IwAR1OaqB4Ob7APrcV3fsElj9WLcmRaHlVSozBJbtypMOTmAVUJ7quHOT2Uis

オスカー・ワイルドの「サロメ」

オスカー・ワイルドの「サロメ」読了。この戯曲によるR.シュトラウスのオペラは、有名な「七つのヴェールの踊り」が、ぎんぎら銀の極彩色のストリップ音楽になっているが、戯曲原作では、そのシーンは、(Salome dances the dance of the seven veils.)との一行でおしまい。これはこれで、かえって、冷ややかなエロティシズムを感じなくもないが。

アマゾンの宣伝ではないが、米国アマゾンのKindleならオスカー・ワイルド全集が0.97ドル。安いし、どこでも読めるのがいい。

 

シノーポリ・ウィーンフィル シューマン 交響曲第二番

近所の公立図書館の閉架書庫からアナログLPを発掘。

八十年代半ばに異常なくらい話題になったシノーポリの録音。精神科医の資格を持つ指揮者という話題をフルに活用したいというマーケティングでしょうか。指揮者本人による作曲家の精神分析の論文の訳まで同梱されている親切?さ。今から思えば実にくだらないが、当時は、みんな真剣でした。

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映画「パルジファル」(1982年)

 

1982年製作の映画版「パルジファル」を見た。本作で特筆すべきは、事前に録音された音楽にあわせて、歌手とは異なる俳優が演技をしていること。近年は、大昔のワーグナー歌手のように声は立派だが、容貌はちょっとという人は減っているが、こういう映画だと、単に美貌というだけでなく、役にぴったりの容貌の俳優を使い、演技についても歌いながらという制約がなくなるため、より精緻な作り込みが可能になる。

本作のキャストでは、以下の3名が大変優れていたと思う。
パルジファル(まだ少年の面影を残している青年はまさに「無垢な愚か者」にぴったり)
・クンドリ(ゲルマン系らしい彫りの深い容貌で、獣のように野卑な女性、母のように優しく美しい女性、呪われた悪魔のような女性というこの役の多様性を見事に表現!)
・アムフォルタス(アルバン・ベルクのような貴族的容貌を不治の傷の苦しみに歪める様はまさに聖杯騎士団の堕ちた王そのもので、これまた見事な熱演。なんと音楽を指揮しているアルミン・ジョーダン自身が出演していることに途中まで気づかなかった)。

第一幕をみると、原作のト書きに忠実なクラシカルな演出に見えるが、大きなサプライズが用意されている。第二幕で使命を悟ったパルジファルが、その時点で、それまで役を演じていた青年に変わり、女性(少女のように見える)に入れ替わる。映画の製作者は、おそらくパルジファルにアンドロギュノス的性格を見ているのだと思う。

これは独特の効果があり、パルジファルの声は成熟したテノール歌手が歌っているものなので、もとの青年ですらやや不思議な感じがあったが、少女のような女性に入れ替わると、カウンタテナーにも感じる、奇妙なエロティシズムがある。

個人的には、第三幕前半の聖金曜日の奇跡の場面までは、少女が演じるパルジファルが清らかさを体現していてなかなかよいと思ったが、男女のパルジファルカップルのように抱き合う最後の結末部分はかなり微妙。

他にも無数にいろいろな仕掛けがしてあって、なかなか一筋縄ではいかない映画という印象。ご覧になる場合は、冒頭のいかにも80年代風のチープな人形劇だけみて騙されないように注意が必要。

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小澤征爾・ウィーンフィルのシューベルト「未完成」

小澤征爾ウィーンフィルシューベルト「未完成」の演奏会の録画を観た。例の、指揮台でメータと一緒にワルツを振っていた演奏会のもの。

コントラバスも7本いる大きな編成の豊かな響きで、思いっきりゆっくりした演奏。

カール・ベームが最晩年に日本に来たときのウィーンフィルとのライブと、テンポも響きも驚くくらいそっくり。おそらく画面なしで聴かされたら、晩年のベームのライブと思う人が多いと思う。

かつては、ベートーヴェンでもマーラーでも、スプライトの栓を抜いたときに炭酸がプシュッというような、何とも言えない爽快な音楽をやっていた小澤征爾が本当に大きく変わったが、ウィーンフィルからはいつも変わらない懐かしい響きがする。

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