https://www.theguardian.com/music/2019/aug/17/leonard-bernstein-japanese-love-letters-hashimoto
6年前にこの書評を見て購入後、長く積読していた本、Dearest Lennyを読了。
バーンスタインの生涯については、同様に、米国議会図書館にあるレナード・バーンスタイン・コレクションに保管されているバーンスタインの手元に残された手紙に基づく、先日亡くなったハンフリー・バートンによる包括的な評伝があるので、この本はあくまで、天野和子と橋本邦彦という二人の日本人のファンと巨匠の交流エピソード集ぐらいに思って読み始めましたが、良い意味で期待を裏切られました。
戦後日本の社会的文化史、アメリカの文化外交、コロンビアやドイチェグラモフォンといった音楽産業の経営戦略、巨匠のマネジメント会社アンバーソンの組織の発展、1985年の広島での平和コンサートの経緯、PMF発足の背景に天安門事件があったことなど、驚くべき事実がいろいろ出てきます。加えて、天野和子の書簡についてはその揺れ動く気持ちが著者の女性ならでは感受性で分析されていて読み応えがありました。
とりわけ、
・天野和子が、戦後長らく限られたレコードなどを通じて憧れ続けてきたバーンスタインと1960年の初来日で初めて会う場面、
・1979年の来日時に、それぞれ配偶者が病魔に倒れた巨匠と天野が帝国ホテルで再開した時のエピソード、
には心を動かされました。
1979年の来日と言えば、東京文化会館でのショスタコーヴィッチの第五交響曲というCDにもなっている有名な大熱演があり、徐々に円熟の兆しを見せつつもエネルギーに満ちた時期と思っていましたが、巨匠の内面は全然違う風景だったのかなと思いました。
この後、バーンスタインは、配偶者を失った経験も糧に更に円熟した素晴らしい音楽を10年余りにわたって創り続けることになります。
天野の手紙でもっとも感動的なものは、その後の1985年のイスラエルフィルとのマーラー九番の大阪公演の当日、宿泊先のホテルで深夜に書かれたものと思います。この伝説的な公演については、吉田秀和氏による有名なとても美しい演奏会評がありますが、天野の手紙は巨匠との交流を通じたパーソナルな心情も加わり、更に感動的な文章です。極東からの一通のファンレターから始まった交流が、マーラーの音楽を通じて心の奥底の殆ど霊的な領域で交流するかのような関係に至ったことが分かります。
天野より若い橋本との物語は、 1979年から始まりますが、最初は読んでいてハラハラする橋本からのストーカーめいた連日の手紙も、バーンスタインが大きく受けとめたようで(バーンスタインからの返信は記録にないので詳細は不明ですが)、これまた巨匠の死まで続く関係となります。
とりわけ、1979年のショスタコーヴィッチ五番(東京)、マーラー九番(ベルリン)、1980年のトリスタン (ミュンヘン)そして再び1985年のマーラー九番(東京)と、バーンスタインの中でも特別な名演の前後に、橋本との様々な関わりがあったお陰で、その頃のバーンスタインの様子がよく分かります。
私は1985年の来日あたりまではまだまだ巨匠もギリギリ元気だったと思っていましたが、橋本とのエピソードでは、このあたりから本人は徐々に老いと衰えを感じ始めていたことが分かりました。
また、その時期に橋本が垣間見た、バーンスタインとクライバーやゼフィレリの地中海リゾートでの交流は、世俗から隔絶した、芸術界の王侯貴族の世界がどんなものだったのかを教えてくれます。少なくとも1980年代までは、こういう世界があったということを。
以上、冒頭のGuardian の書評にある通り、まさに、Passionate, Tender and Heartbreaking でした。飛行機で世界どこにも行ける上に、インターネットで簡単に連絡が取れる現代と違う時代の、手書きの手紙で始まった交流が紡ぐとても美しい物語です。
その後、著者(吉原真里さん)自身による日本語版も出版されているようですが、英語版は、戦前生まれの天野の極めて洗練された英語力による素晴らしい手紙、この本でも指摘されているように充分に意図は通じるが少しこなれていないところの残る英語がかえってストレートに思いを伝える最初の頃の橋本の手紙を原文で味わえる良さがあると思います。