Kathleen Ferrierの伝記

年末新年の休みは英国の歌手Kathleen Ferrierの伝記(Kathleen: The Life of Kathleen Ferrier 1912-1953)を読んでいます。
 
1912年に英国の小さな町の裕福でない家庭に生まれ、経済事情から中学校を中退し、電話局の事務員勤務、短く不幸だった結婚生活を経て、30歳過ぎから41歳の早すぎる死までのわずか10年間を彗星のように駆け抜けた不世出の名コントラルト歌手の生涯と人となりを、著者は、彼女を支えた姉や友人、様々な指導者や音楽関係者とのインタビューや残された手紙から克明に描きだします。
 
本書は第二次大戦前後の英国庶民の暮らしぶりや戦後の英国人から見た繁栄する米国社会の姿を描く社会史としても、ワルターやバルビローリといった巨匠から著名な音楽プロデューサーのウォルター・レッグまで当時の音楽界のセレブ達のエピソード集としても興味深く読めますが、何よりも、フェリアーの物語を追うことで、歌うことにすべてを捧げて生きていくことの厳しさと崇高さに心を打たれます。
 
フェリアーほどの才能と幸運(ワルターやバルビローリ等の素晴らしいメンターとの出会い等)に恵まれたにもかかわらず、当時の社会で独りの音楽家(それもまだ30代の若い女性)として生きていく上では、様々な障害が立ち塞がります。
・音楽興行会社の搾取(北米演奏旅行の旅行費・伴奏者謝金・広告費は自己負担のため北米大陸を縦断した初回の演奏旅行の本人の収支は殆ど赤字!)
パワハラ・セクハラ(指揮者から苛められたり、プロデューサーのレッグからは同乗の車中で人に言えないことをされそうになったり)
・演奏旅行での移動の苦労(特に北米では雪風吹で列車が遅れ、真夜中に駅に到着したら迎えがおらず、知らない街を一人でホテルにたどり着いたら、部屋の予約が入っていなかったり等々)
・良い伴奏者の確保の困難(2回目の北米演奏旅行では、伴奏者が精神を病んでおり、旅行中に悪化していくなかで、伴奏者の代わりがなかなか得られず、彼を何とかマネージしつつ、必死に演奏の質を保っていく等)
・無理解な批評家による心無い攻撃
等々。
 
それらに対して腹を立て、親しい友人への手紙で毒づきながらも、一つ一つ乗り越えて行く姿は、残された録音で一般にイメージされる「聖女のようなフェリアー」というよりは、とても強くてたくましいワーキング・ウーマンというイメージです。
 
しかし、そうした日々の苦労の中でも、フェリアーの意識は、常により良く歌うことにあって、国際的に著名になったのちも、寸暇を惜しんで様々な助言者のレッスンを求め、苦手なドイツ語やフランス語の発音を勉強し、新しいレパートリーを開拓し続ける真摯な姿には、本当に頭が下がるものがあります。
 
音楽面では大変に厳しく、完璧主義で、数々の録音をしながら最終的に販売を許さないことも多かったようです。選曲も商業的に有利な有名曲よりも、無名でも自ら納得できるものを選ぶため、レコード会社からすればなかなか難しい音楽家だったと思われます。録音技術の水準についても厳しく、当初契約したコロンビア社の音質に納得がいかず、自ら契約を解除して、録音技術の優れていたデッカ社に移ります。お蔭で、当時としては非常に高水準のデッカの録音でフェリアーの歌声を今日でも楽しめるわけですが、ブルーノ・ワルターがコロンビア社と契約していたため、両者によるマーラーの「亡き子を偲ぶ歌」(コロンビア(当時))、「大地の歌」(デッカ)の録音を実現するためにライバルである両社の許可がなかなか下りなかったということもありました。
 
フェリアーは外見も大変美しく、魅力的な女性で、周囲には仲の良い男性も複数いたようですが、結局は再婚することはありませんでした。その理由については、この本の筆者は、「結局のところ、生活の全てを音楽中心に向けざるをえないため、現実的に結婚生活を可能ならしめる時間がなかったためではないか」という彼女の知人のコメントを引用しています。
 
以上のことからは、偉大でとても近寄りがたい人物のように思われますが、本書でしばしば引用されている姉や親しい友人への手紙を見ると、言葉遊び(一種の駄洒落というか、いろいろな人や物の綴りを少し変えてひどいあだ名をつける)や人の悪口を書いたり、演奏旅行でアメリカの西海岸の海辺に行けばスカートをたくし上げて波で戯れたり、ニューヨークで高いコートやカバンを買った後で後悔して「節約しなければ」と思ったりと、何か非常に俗っぽく、落ち着きがないというか、10代の少女がそのまま大人になったような感じもあります。姉を初めとする周辺の親しい人たちは、そういう彼女が、ステージに現れ、歌を歌うときは、突然、聖女のような神々しい姿となって、あたりにオーラを発することを非常に不思議に思っていたという話も紹介されています。
 
まだ読みかけで、話は、癌と闘いながら、演奏を続ける痛ましい晩年に差し掛かりつつありますが、新年という節目にあたって、こういう真摯な人生の記録を読むことができて、改めて背筋を伸ばしてしっかり生きていかなくてはいけないなと思った次第です。