若き日のメータの「復活」

20年以上も前ドイツに留学していた頃、同じくドイツに留学していた職場の同期と一緒にベルリンに旅行に行った際、ズービン・メータがベルリン国立歌劇場のオーケストラと合唱団を振って、マーラーの「復活」をやっている演奏会があるので、でかけて行った。会場は、フィルハーモニーではなくて、この曲をやるには少し小さめの(その分、どの席でも十二分に大きな音で聴こえる)東側のコンチェルト・ハウスだったと思う。

 

その同期はこの曲も含めてマーラー交響曲はあまり聴いたことがなくて、半ば、自分の趣味に無理やり付き合ってもらったような形だったと思うが、この曲が合唱とオルガンも加わった圧倒的な変ホ長調の和音の大演壇で鳴り終わった後、横を向くと、まるで子供の様に文字通り涙をポロポロこぼしていて、「なぜか涙がたくさん出てきて止まらないよ」と泣き笑いのような表情をしていた。

 

この曲は確かにそういう力を持っている音楽だと思う。

 

他方で、作曲家自身も若い時期の作品でもあり、後年の第9とか「大地の歌」といったものと違って、いろいろと深いものを追い求めて凝るよりも、若々しい生命力そのものを自然に発散させる演奏の方が成功する種類の音楽だと思う。

 

メータはベルリンで聴いたときもよかったが、それより20年以上遡って、彼がまだ30台の1974年頃に録音したウィーンフィルとの「復活」の録音は更に素晴らしい。今日、アマゾンプライムで無料で聴けるので久々に聴いたが、今や世に何十種類あるか分からないこの曲のCDの中から一つだけ選べと言われれば、これを選ぶだろうと思った。

 

当時のデッカ社の録音は最新のデジタル録音にも見劣りしないし、ルードビヒ、コトルバスのソリストウィーン国立歌劇場の合唱団も本当に素晴らしい。しかし、何よりも、若いメータが余計なことを考えず、自分が信じるがまま、思いっきり音楽をやり、それが上に述べた音楽自体のもつ若々しい生命力と奇跡のようにうまくマッチし、大きな力を呼び起こし、それが海千山千のソリスト(特にルードビヒはマーラーの音楽に限ってもクレンペラーカラヤンバーンスタインといった世紀の巨匠の下で何度も歌っている恐るべきキャリアの持ち主である)・合唱団・オケに乗り移って大きなうねりを起こしているといった趣である。

 

人間はいろいろな経験を積んで、若い頃には見えなかったことが見えるようになって、より良い仕事ができるようになる面もあり、自分で物理的に音を出すわけではない指揮者のような仕事はそうした経験による恩恵が大きいように思うが、他方で、若い時こそよい成果を挙げられるようなタイプの仕事もあるのだなと改めて感じた。

 

今、将棋の藤井四段という人が破竹の勢いで勝ち進んでいる。自分は将棋のことはよく分からないけれど、彼の28連勝の棋譜などは、将棋に詳しい人がみれば、おそらく、この若きメータの「復活」の演奏のように、若さならではの思い切りと生命力がそのまま力につながったようなものになっているのではないかと勝手に想像している。