ヱヴァンゲリヲン(新劇場版)とワーグナー

ここのところ、俄か「エヴァンゲリオン」ファンとなっていたが、今日、ようやく新劇場版4部作を見終わった。

 

繰り返しになるが、俄かファンなので、この複雑なストーリーを理解できたわけでは全くないが、自分が子供だった頃のアニメ(オリジナル・ガンダム宇宙戦艦ヤマト)とは違い、苦闘の向こうにも何ら分かりやすい希望はないことが印象に残る。ここにもはっきり残るバブル崩壊による断層を見る。

 

他方、「スターウォーズ」もそうだったが、悪い癖で、こういう壮大な叙事詩的なストーリーに触れると、いつもワーグナー(とりわけ「ニーベルングの指環」)の影を感じてしまう。映画のオリジナルの劇中音楽の中にもかなりワーグナー的音響があるが、それ以上に象徴に満ちたストーリーがそう。

 

以下は新劇場版ストーリーに基づく、「エヴァ」と「指環」の私流の勝手な読み替え。特に「エヴァ」のファンの方からは、加持やアスカあたりについて大いに異論があることと思う。「指環」サイドから見ると、アルベリッヒやハーゲン等、ニーベルンゲン族がミーメ以外に出て来ないことが気になると思うが、それは「エヴァ」のもう一つの勢力、(アダム系統の)「使徒」サイドにはカヲルを除き、性格を与えられた「人物」が登場しないことによる。

 

(以下、読み替え)

碇ゲンドウとシンジの父子の葛藤 ⇔ 自らのプロットによる世界支配に固執し、破滅するヴォータンと、穢れを知らぬその嫡系ジークフリート

 

葛城ミサトとシンジの関係 ⇔ 保護者・被保護者関係と恋愛感情がまざった独特な人間関係はブリュンヒルデジークフリートの関係に似ている気がする。ちなみに、ミサト(ブリュンヒルデ)が、劇の大詰めで自己犠牲により世界を救う?ところも同じ。

 

綾波レイ(≒ 碇ユイ) ⇔ シンジのレイへの感情は結局は死別した母親の影への思慕?。劇中で繰り返し浮かぶユイのイメージは、ジークフリートの母で、薄幸だったジークリンデを想起させる。

他方で、ゲンドウ=ユイの関係にフォーカスするなら、ユイはヴォータンの知的活動の源泉でもあったエルダになぞられえるのが正着かもしれない。 

 

渚カヲル ⇔ ジークフリートにいろいろなことを教え、育て、竜退治に駆り出すが、目論見の外れるミーメに見えて仕方がない。

ただ、カヲルの方が劇中キャラとしての射程ははるかに大きいので、アルべリヒも兼ねてもらうのがよいかもしれない。美貌のカヲルを醜いニーベルング族に見立てるのは心苦しいが。

 

加持リョウジ ⇔ (新劇場版ストーリーによる)サードインパクトでの英雄的な最期と、その後のシンジの回想での現れ方は、ジークムントを想起させる。

ただし、こうすると、ジークリンデ=レイ(ユイ)とは符合しなくなるが。

また、加持=ジークムントとすると、ミサト=ジークリンデ、加持リョウジJr.=ジークフリートとする余地も出てはくるが、その読み替えにはそれ以上広がりがないのは明らか。

 

・アスカ ⇔ ジークフリートに真実を告げる小鳥。

 アスカのファンの方には申し訳ないが、新劇場版では、登場回数の割には、他のキャラとそこまで根源的な絡みがなかった印象。