レヴァイン・バイロイト ジークフリート第三幕

先日の続きで、ジークフリートの第三幕を聴いた。

 

冒頭のヴォータンとジークフリートの出会いの場面は、盛りを超えつつある中年あるいは初老の権力者と力を付けつつある若者の関係、あるいは父と息子の関係という意味で、普遍的なテーマだと思う。

 

我が国では日本中で中小企業の事業承継が課題になっており、その意味では、きわめて今日的なテーマでもある。

 

指環の物語は複雑でここで説明し尽くせるものでもないが、ヴォータンは、孫にあたるこの若者(ジークフリート)を、建前としては自由な意思で生きさせるとしつつ、見えないところで布石をうち、支援を与えるとともに緩やかな統制下に置いている。その成果もあり、若者はそれと知らず世界支配の象徴たる「指環」を手にし、間もなく、ヴォータンの最愛の娘であったブリュンヒルデも花嫁として得ることになる。

 

言ってみれば、企業経営者が婿あるいは息子に事業を譲らんとする場面で、先代としては、全てを委ねると言いつつ、相手からは「引き続き御指導ください」という言葉を密かに期待している。いや、単にアドバイスがしたいだけでなく、無意識ではあるものの本当に任せるつもりも実はない場合もあるのではないか。そういう曖昧な姿勢で、若者からは反発を買う。ジークフリートの「(ブリュンヒルデへの)道を示すのか、そうでないなら、そこをどけ」というセリフが象徴的である。

 

結局、ヴォータンは反抗的なジークフリートに癇癪を起こし、闘うが、あっさり破れ、「行け。わしにはお前は止められない」とのセリフを残して退場する。ここの姿にはいつも哀しくも崇高なものを感じる。トムリンソンは、90年代を代表するヴォータン役だけあって立派。

 

職場でも、「若手に任せるべき」といった言葉がよく出るが、本当に任せるのか、任せるとしてどこまでなのか、覚悟がないと反発を買うだけだと思う。

 

その後の、ブリュンヒルデジークフリートの愛の二重唱でのブリュンヒルデの立場は、今日の恋愛ドラマ風にいえば、片思いだった男性Aと、その男性の恋人(ただし人妻)で、不倫を知って怒った旦那にAが殺された後の逃避行を助ける過程で友人となったBとの間に産まれ、知らない間に立派な若者に育った(AとBの)息子に告白され、初めて男性と付き合うことになる、というややこしいもの。

 

恋愛ドラマ的アングルに加え、避けがたい、「神々の黄昏」につながっていく運命の布石としての出来事という側面もあって、単純ではないが、レヴァインの指揮も、母親のようで同時に恥じらう乙女のような複雑なブリュンヒルデの揺れ動く気持ちを丁寧に音楽をつけていて見事。最後は、ポラスキ(ブリュンヒルデ)の威力のある「女神声」が圧倒的。