上岡敏之指揮・新日本フィルのブルックナー交響曲第8番

上岡敏之さん・新日本フィルブルックナーの第8番を聴きに行った。コンサートマスターは上岡番の崔文洙氏。



墨田トリフォニーホールもほぼ満席。この曲一曲だけという硬派なプログラムにも関わらず、よくこれだけ埋まったねと。上岡音楽監督時代はあれこれと工夫を凝らした意欲的なプログラムをやっていたにお関わらず、トリフォニーホールも空席が目立つことが多く、残念に感じていたことが多かったので、よかった。演奏も期待を裏切らない充実したものだった。

 

第一楽章は随分ゆっくりと始まるが、冒頭主題がリズムの不気味さが強調されていて、聴き慣れてしまっている耳にも聞き流せない。それは、この後、何回かこの主題が出てくるたびに感じさせる。

 

その後は、楽想ごとにテンポを上げていく。最初の盛り上がりのところで既に金管の咆哮とティンパニの強打がすさまじい。これが新日本の音?崔氏率いる第一バイオリンがよく歌うのは変わらないが、コロナ前にブルックナーの第7番なんかをやっていた頃は全体的にパワーがそこまででは無く、やや元気がなかったように思うが、今日は、管も、弦(特にコントラバス)もパワフルで充実した響き。私はコロナで上岡氏が現れなくなってから新日本フィルをほとんど聞いていなかったので全く分からないが、この響きの充実は上岡効果というよりは、最近の楽団員の入れ替わりと、ひょっとすると佐渡裕氏の影響かもしれない。

 

ヴィオラは当初、特に弱奏のところはやや不揃いだったり、ニュアンスに欠けたりするところもあったが、曲が進むにつれて充実した良い音になっていった。ヴィオラのトップが随分とスリムで若い女性で、上岡さんはこの奏者が気になるのか、しきりにヴィオラの方に向かい、指揮台からトップ奏者の譜面台の真上くらいまで身を乗り出して、腕を激しく振って、もっともっと(強く)と催促する。指揮棒がトップの人の顔にあたらないかというくらい。しかし、こうやって強奏を求めた結果、第三楽章で普段はほとんど聞こえないヴィオラトレモロの音が浮かび上がって、調性的に非常な効果を上げていた瞬間もあった。

 

第一楽章の最後も金管ティンパニの強奏がすさまじく、この曲本来の巨大で悲劇的な姿を描いていた。

 

第二楽章は、主部は割と普通だったが、トリオに入るや、第一バイオリンが、速いテンポでありながら、思いっきり表情豊かに歌うという、典型的な上岡=崔氏ワールドの発現。

 

第三楽章は、冒頭、例のトリスタンの愛の二重奏と似た中低弦の刻み音型を、普通は神秘的雰囲気を狙って音量を絞る結果不明確になりがちなところ、かなり強めにしっかり弾かせることで、和声が鮮やかに浮かび上がって効果的だった。そのあと、第一バイオリンが入ってきて、一しきり盛り上がった後の全休符をうんと長くとり、その後、再度始まるとところを逆に物凄く音量を絞ってはじめることで、レンブラントの絵のような陰影を描くのに成功していたように思う。第三楽章あたりから、冒頭に述べた各パートの響きの充実が一層際立つようになる。最後のクライマックスのところも金管が咆哮しつつ、少しも割れた汚い音にならないあたり。25年以上前に、初めて欧米に渡り、ミュンヘンやシカゴのオーケストラでこの曲を聴いた時は、この部分での物理的なパワーは日本の楽団は到底かなわないなと思ったが、先のWBCではないが、かなり追いついてきたのではないかと思う。

 

第四楽章も基本同じことが当てはまる。最後の全ての楽章の主題が重なって壮大なクライマックスを築く部分も聴きごたえがあった。

 

最後、観客の惜しみない拍手の中、全パートを周って健闘を讃えるのはいつもの上岡流。そのあとも鳴りやまない拍手の中で出てきたときには、お辞儀をした後、崔氏の手を子供の様に引っ張って、「もう楽団員も引き上げようよ」というような感じで催促していたのがおかしかった。崔氏は1回目のときは無視してどんと腰かけたが、2回目のときはやむを得ずという感じで、引き揚げた。80分近い大曲の後で、上岡氏自身がくたびれていたからか、楽団員をいたわっていたのかは分からない。

 

もう一つ、営業的に面白いのは、新日フィルが同じ曲を4月に同じ会場で取り上げること。これも定期演奏会ではない特別演奏会で、桑田歩さんという同楽団の首席チェリストが「一曲入魂」と称して指揮をするという企画。まあ、今日のはどこまでいっても上岡流のブルックナーだったので、それとはまったく違う演奏になるのだと思うが。