クライバーのリハーサル

去年だったか、NHKBSで「クライバー特集」というのがあった。それを撮り溜めておいたものをみる機会があった。日本でやったバイエルン放送響とのベートーヴェン4・7とか、ニューイヤーコンサートとか、晩年のカナリア島でのブラームス4番とか、いつもの映像はともかく、ドキュメンタリーで、クライバーがリハーサルをやっている映像がついていて、これが興味深かった。
 
クライバーといえば、音楽をそのまま映像にしたような、舞うような美しい棒さばきで、オーケストラから何の苦労もなく望む音楽を産み出しているようにしか見えなかったが、リハーサルでは、その背景にある極めて苦労の多い、地道な作業を繰り返していた。
 
言葉での比喩が独特かつきわめて巧みで、非常に自分の持っているイメージをうまく伝えている様子ではあったが、同じフレーズを何度も何度も繰り返させて、そのたびに、明らかに不満を感じている様子ながらも、きわめてにこやかな表情で、「非常に非常に美しい。素晴らしい。今でも十二分だが、ひょっとすると、我々はもっと素晴らしいものが作れるかもしれない」等と言いながら、穏やかに、しかし、執拗に、自分の求める音楽を作っていく。
 
かと思うと、何度かやり直して、奏者の力量からはそれ以上を期待できないと見て取ると、「ありがとう。大変結構です。」といって、次に進む。
 
見ていて、本当に胃が痛くなるような作業の繰り返し。
 
クライバーは、90年代に入ると次第に舞台から遠ざかり、稀にしか出演しなくなっていき、その理由には諸説はあると聞くが、本番での緊張のほかに、こういうリハーサルでの辛抱強い作業に耐えられなくなったこともあるのではないか。
 
ここ数年、だんだん管理職に足を踏み入れて、自分で処理するより、人に仕事をお願いする機会が増えてきて、その難しさも感じているが、あのクライバーでさえリハーサルでは我慢を重ねていたことを思えば、自分のような人間はもっと辛抱せねばなと反省することしきり。