ショルティ・シカゴのブルックナー8番。

ショルティ・シカゴのブルックナー8番のCDを久々に聴く。1992年発売。まだバブルの余韻が残るその年の今頃、新宿に飲みに行く途中に、小田急デパートのCDショップ(当時、クラシックもなかなか充実していた)で買った。ショルティ・シカゴというブランドネームは、そういう華やいだ雰囲気とどこか通じるものがある。
 
さて、ブルックナーの音楽だが、同じショルティでも60年代にウィーンフィルと作った録音とは違い、強引なところは少しもない、意外と「巨匠風」の悠々とした音楽となっている。
 
それでも、3、4楽章を中心に、盛り上げるところは、きちっと引き締め、くっきりと盛り上げる。一例をとれば、4楽章の大詰め、一番最後の凱旋がはじまるあたり(ノヴァーク版のスコアでは練習番号XX、686小節以降)では、音楽がフォルテッシュモになるのと同時に、アクセルをグッと踏んで、テンポがを上げて以降の見事な造形。もちろん、最後の2小節は、逆にグッとリタルダンドを効かせて、80分を超える大交響楽を堂々と締めくくる。
 
余談だが、全体に4楽章のテンポの変化は、フルトヴェングラーのものにきわめて近い。上記の686小節以降もそうである。ただ、フルトヴェングラーは、それ以降、最後の2小節も早いテンポのまま駆け抜けてしまうのでどこか尻切れトンボのような印象を与えるのに対して、ショルティはきちんとテンポを落として、この大音楽を堂々と締めるのである。
 
ショルティは、全体に、音楽のメリハリを利かせ、見事なプロポーションで、盛り上げるべきところはストレートに盛り上げる。他方で、せかせかした音楽というわけでもなく、貫録も十分にあるといった音楽になっている。このあたりが美点だろう。
 
これと同じ感じを与えるものがあると思ったら、Lincolnのセダンというアメリカ製の車であった。リンカーン大統領のような長身の男性のようなスッと伸びたプロポーションで、貫録も十分。また、適度にきらっと光るメタルパーツもあって、非常に美しい車である。アメリカの一定ランク以上のセダンは、いずれも、これに近いテイストを持っているように感じる。
 
ショルティ・シカゴは、アメリカで非常に長期にわたって喝采を受けた人気コンビだが、その作る音楽の美質は、どこか、このLincolnのセダンのデザインと同質のものを感じる。
 
ショルティは、ブルックナーだからといって、神秘的で曖昧なところは残さない。それが魅力だが、もちろん、そこで掬い切れなかったものがないわけではなく、だからこそ、ショルティ以外の演奏家ブルックナーマーラーを聴く意味があるのだが。