カラヤン ドキュメンタリー

先週日曜日のNHK-BSプレミアムシアターで放送されたカラヤンを回顧するドキュメンタリーを見た(「カラヤンセカンドライフ」。オーストリアの放送局が2012年に製作)。

 
 
 

カラヤンの演奏とレコード録音について、指揮者と縁のあった録音技師や音楽家(アンネゾフィー・ムター、ブリギッテ・ファスベンダーといったソリストと何人かのベルリンフィル元団員)等が、カラヤンのリハーサル風景やスタジオでのプレイバック・編集時の様子のビデオを、眺めながら、それぞれコメントするもの。

 

当時のクラシックレコード作成は、楽器群毎に個別にマイクを立てて、それを事後にスタジオでバランスさせるという手法を取ることが多かったようである。カラヤンは、楽器間の微妙なバランスに細部まで拘る。その成果として、たとえばシェーンベルク管弦楽曲のような極度に複雑で精密な音楽について、コンサート会場の実演では絶対に不可能な(少なくとも客席では聴くことのできない)玄妙な響きが実現していく様子が描かれる。

 

ただ、個人的に一番面白かったのは、いわば「ワンマン社長」とも言える帝王カラヤンと、その部下とも言える録音技師たちの関係:

カラヤンは、コンサートやリハーサル以外の時間もスタジオでミキシングされた自身の録音の仕上がりについて始終チェックを繰り替えてしており、朝・夜を問わず、自宅やホテルから録音技師に電話で細かな指示をする。それに対して「フォン・カラヤン様は、明日、フィルハーモニーベルリン・フィルの本拠地)には何時ごろ見えますか。リハーサルの前にお時間があれば、その点についてお話させてください」と応じる録音技師。

・スタジオのミキシングルームで、楽器間のバランスが気に入らないカラヤンが不機嫌な様子で何やら無理な感じの指示をして席を立ってしまう。その後、部屋に残った、顔を見合わせ「やれやれ」といった様子を見せる録音技師たち。

・ある録音技師の回想:「カラヤンは自分の意見を人から否定されることは許さない人間でした。彼自身も誤った判断をすることはありましたが、我々(録音技師)からは指摘しませんでした。しかし、しばらくすると自分で誤りに気づき、そのことを我々に告げることはないものの、いつのまにか誤った判断を修正しているのです」

このあたり、サラリーマンなら、誰しも経験する話ではないだろうか。

 

この番組では、それ以外にも、カラヤンの音楽自体や録音手法についても興味深い話題を提供していた。

特に録音手法については興味深い。楽器に密着した多数のマイクで録音し、事後に綿密なミキシングでバランスを調整する手法と、楽器自体からは少し離れた場所にそれほど数の多くないマイクを置き、いわば客席に届く響きをそのまま自然に収録するという手法のどちらがよいかという論点を提示。番組では、カラヤン時代に前者の手法を取っていたドイチェ・グラモフォンの関係者やアンネ・ゾフィー・ムターらが「生演奏と録音は別物」と主張し、「レコードでしか聴けない音を実現することこそ録音芸術の存在意義」とする一方、同様にカラヤンと録音を作成していたEMIの関係者は「いずれの録音手法も一長一短。カラヤン自身もいずれの手法も認めていた」と主張していた。最近は、クラシックCDの売り上げが落ちていく中、予算が余分にかかる前者の手法ではなく、後者の手法でコンサートを収録し、目立つキズの部分等について、事前のリハーサル音源等で修正することも多いようで、ことオーケストラ音楽やオペラに関する限り、どちらの手法がよいかというのは贅沢な議論になっているようである。

 

これに比べると、カラヤンの音楽そのものについては、番組に登場する出演者の殆どが生前、指揮者と縁があったこともあり、多分にノスタルジーを伴いながら、個人的感想を述べているにすぎず、中途半端な印象だった。もっとも、カラヤンの音楽については、これまで語りつくされており、限られた時間のドキュメンタリーで何か新たな視点を追加するのはもともと無理な注文というものかもしれない。