カラヤン最後の第九。呪縛からの解放

久しぶりにカラヤンベルリンフィルベートーヴェン第九を聴いた。1984年録音で、この時カラヤン76歳。この曲の正式な録音としては最後のものになる。頂点にあるもののみの持つ強さと輝きに満ちた77年の録音に比べると、84年の録音は随所にかすかな衰えの気配を感じる。たとえば第四楽章のテノール独唱(Froh, Froh wie seine Sonnen fliegen・・・)に始まる部分の後のオーケストラのみのフーガの部分。弦楽器がどことなくカサカサした音色で、77年の録音のようにどこを切っても豊潤な潤いのある響きが失われている。合唱も同じウィーン楽友協会合唱団なのに、77年に比べてどことなく弱い。他方で、84年の録音は、カラヤン晩年に演奏に時々ある、「自分の演奏を最新のテクノロジーであるデジタル録音を使って、この世に永久に刻み込もう」というような執念というか、切羽詰まった気合いを感じる部分がある。
 
今回もっともそういう気合を感じたのは、例の有名な「歓喜の歌」のメロディーがオーケストラで初めて出てくる部分。この部分は、例のフルトヴェングラーバイロイト音楽祭での録音が有名で、吉田秀和氏が「あそこでは、このふしはきこえるかきこえないか、本当に遠くからはるかに耳に入ってくる幻のような、魅惑的なものの姿のように、小さく、そうしておそくはじまり、まるでその歓喜の幻がだんだん身近に迫り、真実の響きとなってきこえてくるかのように、しだいに大きく、そうして早くなるというふうに扱われている。あれをきいた時の感銘というものは、私には忘れられない」ととても美しく評している通りで、自分も中学時代にフルトヴェングラーの録音を初めて聴いて以来、この部分は基本的にこういう風に演奏する以外ありえないとずっと思ってきていた。
 
カラヤンはもちろんそんなことをしない。それは60年代のベルリンフィルとの最初の全集のときからそうである。しかし、今回、84年の録音を聴いていて、全曲で一番魅かれたのは、この部分だった。
 
カラヤンは、ピアニシモでチェロとコントラバスがこのメロディーを弾き始めるところから、快適なテンポでぐいぐい弾かせる。その後、コントラファゴットが加わってメロディーの二巡目、三巡目に入るときも、快適なテンポを崩さない。ちょうど、200キロのスピードを出しても、社内は静かなメルセデスベンツでのドライブのように。ファゴットが入れる合いの手は、ちょうど夜のドライブで向こうに見える人家の灯りがはるか向こうに浮かぶような感じ。そして、主旋律を弾く第一バイオリンと対立する旋律を弾く他の弦楽器が見事にぶつかりあって、第3巡目のメロディーが終わっていくあたり(160小節目以降)で、さらにかすかにギアを上げて、その後のオーケストラ全体でのフォルテでの第4巡目に繋げていく見事な流れを聴くと、どうしても、アウトバーンさらにスピードを上げて追い越し車線に入っていく際の素晴らしいハンドル裁きを思い浮かべるとともに、カラヤンの強い、強い意志を感じざる。カラヤンの演奏は、フルトヴェングラーの演奏に代表されるドイツ・オーストリアの伝統だったロマンティックで非合理・魔術的な世界からの呪縛からの解放への闘いだったのではないかとまで思う。
 
非合理といえば、フルトヴェングラーの第九の演奏ほど、最初の小節から最後の主節までテクノロジー的に非合理な演奏はないと思う。この曲の出だしは、ラとミだけで長調とも短調とも付かない曖昧で空虚な和声を16小節続けるが、フルトヴェングラーの演奏では、その間、第二バイオリンとチェロの三連符のリズムもほとんど刻みが曖昧で、ブワァーンという何かが唸っているような響きにしか聞こえないし、リズムが聴こえないのでテンポもよく分からない。ただ、何か宇宙で生命が生まれる前の混沌のような雰囲気のようなものがあるだけである。多分、音大の指揮科の学内試験か何かでこういう演奏をやったら5小節目くらいで止められて、落第するのではないかと思う。
 
第四楽章の最後の部分はもっとすごくて、合唱がGoetterfunken!と歌い終わった後のオーケストラでのフィナーレは、メトロノームで測定不能なレベルにまでテンポを上げて、オーケストラがほとんど空中分解しかかるような中で、これまた混沌として終わる。これはバイロイトのライブだけでなく、フルトヴェングラーの第九では常にお定まりのこと。ほとんど狂気の世界である。
 
しかし、こうした狂気の世界、非合理の演奏こそ、ドイツ・オーストリア圏では、最上のベートーヴェンブラームスワーグナーとして、聴衆だけでなくプロの演奏家たちも魅惑し、呪縛してきたわけである。フルトヴェングラーからカラヤンの時代を通じてベルリンフィルで活躍したあるディンパニ奏者などは、わざわざいろいろ著作を出してカラヤンを批判し、フルトヴェングラーを賛美しているが、あるテレビ番組のインタビューで、「他の指揮者のリハーサル中にしばらく出番が無いので、下を向いていたら、にわかに音楽が鮮やかになり、生き生きとし始めた。指揮者を見たが何も変わるところはない。他の同僚たちの視線の先を見ると、フルトヴェングラーが舞台の袖に立っていた。他の指揮者のリハーサルの様子を覗きに来たのだが、彼は、その場に存在するだけで、音を変え、音楽に息を吹き込む」等と言っていた。教育実習の先生の授業で騒いでいた生徒たちが、厳しい担任が現れたので静かになったのと同じような話と思われるが、この程度の話を、世界一のオーケストラのティンパニ奏者が目を輝かせて語るほど、非合理性な神話に皆が呪縛されていたことがポイントと思う。
 
カラヤンも、フルとヴェングラーが「歓喜の歌」を吉田秀和氏が描いたように演奏していたことはよく知っていただろうし、すぐれた音楽家として、聴衆以上に、その魅惑に抗しがたいものを感じていたのではないかと思う。カラヤンの演奏はまさにその正反対。最初からの見事なまでの超スピード、とりわけ第三巡目の最後での加速は、19世紀以来のドイツ・オーストリア圏で脈々と流れてきた非合理でロマンティックなものを振り切り、テクノロジー的に合理的な音楽を追及したカラヤンの最後の闘い、彼の執念を感じる。