【バーンスタインのマーラー第九④】吉田秀和氏の演奏会評から。

吉田秀和氏が残した音楽についての膨大な評論から、クライバーチェリビダッケバーンスタインについて書いた文章をまとめたものが河出文庫から出ている。

その中に、例の1985年のイスラエルフィルとの日本公演の演奏会評が収録されている。私が先般来騒いでいる東京公演ではなく、大阪公演の批評だが、当時、朝日新聞の文化欄で読んだことを思い出した。

「彼の指揮できいていると、この曲の「魂」が私たちに語ろうとしたのが、第一楽章では限りない悲哀と優しい慰めとの対話であること。第二楽章の各種の踊りは人生の変遷、変転、変貌の種々相であり、そこには死のにがい舞踊まで登場すること」

「第三楽章は行進、と同時に「人生とはどこに向かっての行進か」という疑問でもあること。そうして終楽章は祈願であること」

吉田秀和という人は周知の通り、大変なインテリで、文章も日頃は明晰で冷静さを失わない。これは例外的に興奮気味だが、名文だと思う。

それで思い出したが、中高時代の音楽の教師から、バルビローリの指揮するこの曲の第一楽章のレコードを聴かされた後、「これは何を語っているのだと思うか」と問いかけられたことがあった。言葉に詰まって黙っていると、これまた普段はあまり感傷的なことを言わず、控室で将棋だか碁ばかり打っていた教師が、「これは人生だよ。作曲者が自分の人生を語っている。僕はそう思う」と語った。

マーラー の第九という音楽は、大抵のものには驚きもしなくなった大人たちに、ティーネージャーのような感想を語らせる、それだけの力をもった音楽と思う。

 

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