フルトヴェングラー・スカラ座の「ワルキューレ」

今日はフルトヴェングラー・ミラノスカラ座の録音で、「ワルキューレ」の第三幕を聴いた。

この楽劇を実演でよく観ていた二十代の独身の頃は、明らかにジークムントとジークリンデという若いペアに感情移入があって、二人が禁断の愛を燃え上がらせる第一幕と、死に向かうジークムントの愛が女神の鋼のような心をも溶かす第二幕が自分的にはクライマックスで、第三幕、特に後半の延々と続くヴォータンと愛娘ブリュンヒルデの告別の場面は、本音ではやや退屈だった。

ところが、娘たちがだんだん成人に近い年頃になってきてみると、断然このシーンが胸に沁みるというか、この場面は、娘が結婚で独立していく時の父親の気持ちがかなりの部分含まれているということを感じる。

もちろんワーグナーのことなので、そういう「娘を想う父親の気持ち」を詠う演歌のように一筋縄ではいかず、世界の破局への予感とそうした運命の逆転へのかすかな希望が混じっていて、かつ、それが娘の将来の婿(ジークフリート)とも関係しているというややこしさも当然あるわけではあるが。

フルトヴェングラー/スカラ座の録音では、第二幕に引き続き、管弦楽が異常に雄弁で全くもって半端ない。父娘の別れのシーンも良いが、死のみを願うジークリンデが胎中に亡きジークムントの忘れ形見(ジークフリート)を宿していると告げられ、生きることを決意するシーンの音楽など、フラグスタートの神々しいブリュンヒルデと健気なコネツニのジークリンデの歌の上に、オーケストラがむせぶような熱い音を出していて全くもって圧巻。昔ピンと来なかったのは、演奏のせいも多分にあると思う。

世の中にはマニアックな人がいるもので、ワーグナーの楽劇の入手可能な各種録音を並べてレーティングしているサイトがあるが、そこでも、この60年前のスカラ座での演奏記録は最高点に近いスコアをマークしている。

https://wagnerdisco.net/audio/gotterdammerung/1950-1959/1950-04-02-furtwangler-milano/