大植英次/バイロイト2005年・「トリスタンとイゾルデ」第一幕

大植英次が、東洋人として初めてバイロイトの指揮台に立ったと話題となった2005年バイロイトのトリスタンを聴く。年末恒例のNHK・FMの深夜放送で録音したが、これまでゆっくり聞き返す機会がなかった。もう8年も経ってしまったことにちょっとした感慨がある。
 
大植は、結局この夏だけで、翌年以降のバイロイトでは、この2005年プレミエのトリスタンをイヴァン・フィッシャーか誰かが指揮していた。異例のことである。昔から様々な政治・権謀術数が渦巻く土地でのことなのでいろいろな事情があったのかと思うが、いずれにせよ、大植の指揮の評判が特別に良くはなかったことは確かであろう。
 
いくら家籠りとは言え、第三幕まで一気に聴きとおすことは、普通に生活している以上なかなか難しいので第一幕だけを聴いた。録音なので舞台の演出は分からないが、音楽は全体に決して悪い出来ではないと思った。
 
全体に、オーケストラは各楽器ともよく鳴り、細かな部分まで、事細かに表情つけがなされている。序曲からある意味やり放題。大河のように滔々とした流れの音楽にはなっていないが、バイロイトという大舞台に初めて立って、これだけ思うがままに音楽を作れれば、悔いはないだろう。
 
細かな音符の一つ一つまで意味づけをして、表情づけをしているという意味では、師匠のバーンスタインの録音と似ていなくもない。もちろん、テンポは若い大植の方がずっと速く、表面的な印象は全然違うが。また、いろいろな楽器がカラフルに分離して聴こえ、とりわけティンパニが非常に表現力豊かで目立つところは、むしろ、ラトルの音楽にも似た印象がある。そういえば、ラトル・ウィーン国立歌劇場の「トリスタン」も数年前にFM放送を録音だけしてあって、まだ聴いていないが。
 
トリスタンはロバート・ディーン・スミス、イゾルデはシュテメ、最近は、この楽劇の主役を張る代表的な歌手だけあって、さすがに素晴らしい。
 
ただ、全体にオーケストラでいろいろやっている音楽がいろいろと表情豊かすぎて、ひょっとすると歌手たちのとっては歌いやすくなかったのかもしれないなという気がする。バーンスタインの録音もそうなのだが、指揮者がオケを使って、細部まで凝りに凝った音楽を作っていて、歌手は当然にそのペースに従わざるを得ないという感じ。トリスタンを録音した頃のバーンスタインのように押しも押されぬ巨匠が、オペラ座ではなく、バイエルン放送交響楽団を使って録音をするというのであれば、さすがに誰も文句は言わないだろうが、若い大植がバイロイトの実演でそれをやると、歌手たちや、それを聴きに来た聴衆からは反発があるのかもしれない。その辺の事情は自分には分からないので、確かなことは言えないが。
 
ただ、たとえば、クナッパーツブッシュの昔の実況録音などを聴いていると、オーケストラは普通の場面では、淡々と、まさに、歌手の歌に「伴奏」を付けているといった感じで弾いていて、個々の楽器のソロが分離して、表現豊かな音楽をやっているのは聴き取れない。その代わり、歌手はなんだか歌いやすそうで、生き生きと聴こえる。もちろん、オーケストラも、いざというときは、津波か山崩れのように凄まじい音響を鳴り響かせるのだが、それは4時間を超える楽劇全体で数回くらいのことである。
 
いずれにせよ、この大植のトリスタンの第一幕の最後は、オケや合唱の乱れも構わず突き進み、大変に盛り上がって終わるが、拍手は、音楽が鳴り終わり、一瞬静かになった後、パラパラと散発的に始まるだけである。アメリカや日本のように、終わるや否や、「ブラボー」とか言って、大拍手が始まることが少ないドイツ(ましてやバイロイト)とはいえ、これはかなり冷たい反応ではないかと思う。このプロダクションは演出も評判が悪かったと聞くので、そのせいかもしれないが。
 
「トリスタン」は、第二幕の愛の二重唱、そして、地獄の炎で焼かれるような苦しみと浄化の第三幕を聴かないとはじまらないが、これらは、次の機会に。