大植英次/バイロイト2005年・「トリスタンとイゾルデ」第二幕

去年の続きの大植のトリスタン第2幕を聴く。
 
冒頭から快適なテンポで始まり、逢引を待つイゾルデの気持ちとは裏腹になかなか遠ざからない狩猟の角笛を表すホルンのやり取りは、随分と凝った感じのやり取りとなっていて、おもしろい。第二幕も特に最初の部分は、個々の楽器が分離してニュアンス豊かによく聴こえる。第一場のイゾルデとブランゲーネの緊張したやり取りから、明かりを消して、トリスタンが現れる第二場の前半にかけての劇的な音楽は、オケも良く鳴り、ロバート・ディーン・スミスとニナ・シュテメという油の乗り切った二人の歌に不満があろうはずもない。
 
ところが、二人の熱情がおさまり、精妙な弦の伴奏に乗って、夜がしんしんと更けていく中で歌われる“O sink hernieder Nacht der Liebe”(おお、深く沈んでいけ、愛の夜よ)以降が、何だか少しも良くない。時として、ディーン・スミスとシュテメの二重唱を後ろから遮って、オケの伴奏が、せかせかとしたテンポで急き立てて、折角の永遠の愛の二重唱が色褪せた感じに聞こえる。どうしてこんなに詰まらない音楽になってしまっているのか。途中で二人を遮るブランゲーネの独唱も、オケのソロ・バイオリンと絡んで、いつもは、この世のものとも思われない美しく聴こえる音楽だが、ここでもオーケストラも軸が定まらないまませかせかとしていて聴き手が音楽に浸るのを許してくれない。もっとも、ブランゲーネを歌うぺトラ・ラングが、今回のキャストの中では多分一番弱いと思われることもあるが。このブランゲーネ場面、大植の師匠のバーンスタインの録音では、それこそ、伴奏のソロ・バイオリンの一フレーズが終わる毎に音楽が歩みをかすかに停めて、これでもかというくらい、濃厚かつ繊細に表情づけをしているのと比べるべくもない。
 
他方、最後のマルケ王の嘆きの歌は悪くない。といっても、ここは、オペラというより、延々と一人で嘆き続ける歌曲みたいな場面なので、マルケ王を歌う歌手次第ということになるが、このクワンチュル・ヨウンというバスの人は韓国か中国系の人なのだろうが、立派な歌を聴かせる。
 
しかし、真ん中の愛の二重唱が良くないと、二幕(というより楽劇全体)が今一つになる。