フルトヴェングラー・ローマ放送響「ワルキューレ」(1953年)

さっき聴き終えた「ワルキューレ」第一幕(Furtwaengler/RAI)の後半は、ジークムントとジークリンデの有名な愛の二重唱だが、単純に男女が会って「愛」が芽生えたというよりは、それぞれ長くつらい「冬」の時代を経て、とうとう「春」が訪れたというもの。

二人がそれぞれ語る不幸で壮絶な半生は、暗く厳しい中欧の「冬」のイメージそのもの。「冬」が深く厳しいものであればあるほど「春」の到来がより尊く感じられる。

こういう微妙な揺らぎと気配のエクスタシーの音楽を扱ってフルトヴェングラーの右に出る人はいない。特にこのローマ放送盤は、ジークムントが不世出のテノール・ヴィンドガッセンである点は、スカラ座盤よりも良い。彼もまだ若々しくて、かえって役に相応しい。