フルトヴェングラー リング  2017.11.12

昨日行ったコンサートのアンコールで、期せずして「ジークフリートの葬送行進曲」を聴いたことで、ワーグナー欲?が久々にむらむらと刺激されて、家族が出かけている昼の間、「ニーベルングの指輪」から拾い聴きをした。「ジークフリート」第3幕の大詰めと、「神々の黄昏」の序幕の夜明けとジークフリートのラインの旅という、ブリュンヒルデジークフリートの愛の二重唱と、昨日聴いた「葬送行進曲」。
1950年にフルトヴェングラーミラノ・スカラ座に遠征した時の古いライブ録音。フルトヴェングラーの「指輪」は、1953年にローマ放送交響楽団と入れたセットもあるが、わずか3年の違いでも大部雰囲気が違っていて、スカラ座のリングは、まだまだ元気で精力的で、テンポも速い。
さらに、ブリュンヒルデフラグスタートで、これまた1952年にフルトヴェングラーと入れた「トリスタン」に比べ、わずか2年だが、声も全然若々しい。1953年のセットではブリュンヒルデがマルタ・メードルになっていて、この52,3年あたりがフラグスタートから次の世代に交替する時期だったのではと想像する。ただ、メードルは、声に独特の薄い霧のようなものがかかっていて、私見では、「パルジファル」のクンドリのようなやや神秘的で陰のある役の方があっていて、ブリュンヒルデのような、あまり屈折のないヒロイン役はフラグスタートの方があっているように思う。
1953年の方のセットは、20代半ばに入手してから愛聴しているが、フルトヴェングラーが元気がない訳ではないが、何とはなく老成している。この2つの愛の二重唱にしても、愛の情熱の爆発というよりは、どことなく、その後の避けようのない世界の破たんの運命に向けて、二人の人間(正確に言うと、ジークフリートはヴォータンの血を1/4+1/4=1/2だけ引いている半神半人だが)が懸命に愛を生きる姿を、少し離れたところから諦観の念で眺めているというような、複雑な味わいを感じる。
1950年の録音はそうした感じはなく、もう少しストレートにロマン派音楽の官能に単純に身を委ねることができる良さがある。どこにマイクを設置したのか、椅子が軋む音が時々聴こえて、かえって劇場感があるし、70年近く前の録音としては良好だと思う、