フルトヴェングラー・スカラ座の「ジークフリート」(1950年)

いろいろな用務の間に1950年のフルトヴェングラースカラ座の「ジークフリート」を聴いていたが、ブリュンヒルデを歌うフラグスタートが凄かった。特に、第三幕の大詰め、Mir strahlt zur Stunde Siegfriedes Stern-----(今は(神々の栄光でもワルハラの威容でもなく)ジークフリートの星のみが輝く)のStern(星)のところの高いソの音をずっと引っ張る部分。古いモノラル録音にもかかわらず、この部分のフラグスタートの声だけは、何かとてつもなく強力な光が天の果てまで伸びていくような印象を受けた。

1952年の有名な「トリスタン」のスタジオ録音では何となく老け込んだような声の印象があったが、僅か2年前のライブだと全く印象が違う。

物理的な声の威力という意味では二ルソンその他もっと凄い人はいるのかもしれないが、音楽的な表現力で観た場合の威力は少し別で、ここでのフラグスタートの声の威厳は文字通り女神のようなというしかないものと感じる。

以前に同じようなことを感じたのは、ヴァルトラウト・マイヤーがマゼールベルリンフィルと録音したトリスタンの「愛の死」のクライマックス、In dem wogenden Schwall, in dem toenenden Schwall, in des Welt-----atems (この波打つ響きのなかに、 この鳴り渡る響きのなかに、 この世界の吐息)のWelt(世界)のところの高いソのシャープの音。マイヤーも、オペラ歌手としてはそれほど大柄でもないし、声量はもっと出る人はいると思うが、このソのシャープの音は本当にいつ聴いても背中がゾクゾクする。