マーラー・第五交響曲 NTTフィルハーモニー管弦楽団

 

(2018年6月の書き込み(備忘)>

今日は、家人の知り合いが出演するオケのコンサートへ。メインはマーラーの五番。

すっかり通俗名曲みたいになった感もあるが、改めて聴くと、実に苛烈で厳しい音楽だと思う。特に「嵐のように」との指定のある第二楽章。まるで、木枯しの吹き荒ぶ中、血を吐きながら彷徨するかのような荒涼とした音楽。絵画で言えば、ゴヤの黒い絵やクビーンの奇怪画に匹敵するクオリティというか。

弦楽器のパートも荒れ狂うようなパッセージが続くが、皆必死に、一部の人は文字通り髪を振り乱して熱演していた。こういう尋常でない感情量のある音楽は、ある意味、毎週演奏会があるプロより、一生にこの曲を何度も弾く機会のないアマチュアの方が相応しいのかも知れない。今日のNTTフィルのように技術的にも破綻のない楽団の場合は尚更である。

有名なアダージェットは割と強めに弾かせて、濃厚なラブレターのような演奏。関係者のご家族だろうが、それまで厳しい音楽が続くのをずっと我慢していた子供たちやお年寄りもホッとする瞬間だったと思う。

しかしその後には長大なロンドのフィナーレ。作曲家は、本当は、ベートーベンの五番のように堂々たる勝利のフィナーレにしたかったのかも知れないが、複雑なフーガ風の展開を何度となく続けても、いつまでたっても、勝利への道が見えてこないという、もどかしさを感じる音楽だと思う。そうした中、なんだか急に脇道に逸れたような感じで、二楽章のファンファーレが現れて、一回目はさすがにこれは違うという感じで盛り下がるが、二回目のファンファーレそのまま流れに流されるようにコーダになって終わる。

カラヤンショルティその他の芸達者が名人オケを振ると、こんな音楽でも演出巧みに圧倒的な大フィナーレといった風に盛り上げるので、あまり上記のような感じはしないが、本当はベートーベンのようになりたくても決してなれなかったマーラーという人の真の姿は、今日のような演奏の方がよく現れされているように感じる。