晩年のモーツァルトの音楽

晩年のモーツァルトの音楽で恐ろしいと思うのは、ごく日常的な風景から一瞬で異次元の空間に連れて行かれるような感じがするところ。
この弦楽三重奏(KV563)もその典型。ハイドンのようなといってはハイドンに失礼かもしれないが、ごくありふれた古典音楽といった感じの提示部を終えた後の展開部(このYoutubeだと、ちょうど5:00以降)。
それまでの晴れた秋空のような変ホ長調から、突然、人生の深淵を覗き込むような和声にふっと変わる。村上春樹の小説で、こういう日常生活から、ふっと異空間に入り込む、壁の中に入っていくみたいなものがあったと思うが、あれと同質のものを感じる。
その後も、不思議に玄妙に響く転調を繰り返した後、意を決したようにベートーヴェンのような激しい調子のフレーズを対位法的に3つの楽器が繰り返す。凡人の自分には分からないが、明らかに何かと闘っているのである。この部分を聴くと、旧約聖書に出てくる、天使と格闘するヤコブの話を思いだす。真っ暗闇の中、目に見えない何物かと一晩中格闘した、あのヤコブの話を。
更に凄いのが、こうした壮絶な音楽から僅か1分15秒ほどで、もとの日常に戻ってくるところ(6:17あたり)。人智を超えたような苦闘の夜を経て、何事もなかったかのように朝食のテーブルについているような感じとでもいうか。