フルトヴェングラーのベートーヴェン第五

シャイーという現代を代表する巨匠のベートーベンをボロクソにこき下ろしたので、ちょっと不安になって、自分にとっての出発点だったフルトヴェングラーの5番をyoutubeで再確認。あながち見当違いなことを言っていたわけではないことが分かり、安心しました。冒頭のジャジャジャ・ジャーンというテーマからして、何か異様なものが降りかかってくるみたいでものすごいですが、そのあとも、音楽が一しきり盛り上がって頂点に達した「ソ」の音が、虎が跳躍するみたいに長ーく伸び(0:23あたり)、その後の長い休符の後に、またジャジャジャ・ジャーンと入ってくるあたり。怨念に満ちていて異様な音楽ですが、ベートーヴェンなんて手紙を読んでもクレイジーで、その音楽ももともとそういうもので、その辺を洗い流して小奇麗に処理してしまうと、見た目は良いけどまるで味の薄い水っぽい野菜を食べさせられてしまっているようなものだと思うのですが。なんか最近20年くらいは、ピリオド奏法の影響か何かしらないけど、5番なんかも小編成で、ちまちまやるのが賢い(よく勉強している)みたいな感じで、プロの人達は、そういう潮流を無視してやるわけにはいかないのでしょうが。

https://www.youtube.com/watch?v=2qMwGeb6SfY&fbclid=IwAR0ojK7BYaqWPjI3EyfewK1xuXNpHaEmAHxnkT0QGZNlKUPTzJK-koCg6a4

 

この演奏、むしろ後半が更にすごくて、ヌーッと薄気味悪いものが背中を通っていくみたいに始まったスケルツォは、4:58~あたりからの長いトンネルに至って、それを抜けた後に光が差してくるみたいな「シ」の音が長~く長~く伸ばされた後(5:41~5:47)、フィナーレに突入します。そのあとも、11:56くらいから、ガッ、ガッ、とテンポを上げていき、その勢いのまま最終音に至ります。スリリングな即興演奏のような音楽で、クラシック音楽は楽譜通りに大人しく正しく弾く退屈な音楽というイメージと最も遠いところにある音楽と思います。

https://www.youtube.com/watch?v=WY36u-r9g6U&fbclid=IwAR3zZhmoq64sZz38rfgzUDb48DO3wUcaSasR2Dmh3eL9nBTmZkHB9lFeY_o