2022年 バイロイト音楽祭

年末恒例のNHK-FMでの夏のバイロイト音楽祭のライブ録音放送。
以前に比べてバイエルン放送による録音が著しく改善していて解像度が高く素晴らしい音!
「神々の黄昏」を部分的に飛ばし聴きしたが、インキネンの替わりに登板したマイスターの指揮するオーケストラが特に素晴らしい。
 往年のクナッパーツブッシュのようにピラミッド型の音響バランスで低音までよく鳴っている一方で、細かなところまでテンポの揺るぎがあったり、交響曲交響詩でも演奏しているようにいろいろやっている様子。
最終盤のジークフリートの葬送行進曲は、ライブだと大体疲れもでてきて、月並みな舞台転換の音楽になてしまう場合が殆どだが、ここでも細かなところまで「音楽」している。
全然知らなかったけど、指揮は大植英次に師事していたらしい。大植のバイロイトでのトリスタンも、細かなところまで表現意欲満点でいろいろやりこんでいたので、その辺りは影響があるのかなと思ったり。
 

ドヴォルザーク・チェロ協奏曲

ドヴォルザークのチェロ協奏曲。何となく昔から馴染んでいるせいもあって通俗名曲という感じがしてしまっていたのですが、19世紀後半に西洋音楽が達した異常な高みの一つを画するような作品であると実感します。

そんなに難解なものは何一つないのですが、
・全体にただよう諦観
・それにもかかわらず、少しでも善なるものを成し遂げようとするようなヒロイックな気分
・はるか遠く、届かないものへの思い(それが故郷のことなのか何なのかは分かりませんが)
・春の満月の夜更けを散歩しているときのような、静かで充溢した気分
といった様々な人間の感情が、独奏チェロと金管木管、弦楽器とその組み合わせで40分もの間、次々と休む暇もなく描かれる様子は、圧巻としか言いようがありません。

特に、ここでいうヒロイックな気分というのが、ベートーヴェンの「エロイカ」のような超人的・世界史的英雄といったものとはまったく違って、その辺りにいる、少し草臥れた中年のおじさんが、「もういっちょ、世のため(あるいは家族や自分のためかも分かりませんが)頑張るか」といって立ち上がっているような感じというのでしょうか。しかし、そこに何か大変な人生の厚みを感じるものがあります。少し違うのですが、分かりやすいもので似たものを探せば、フーテンの寅さんに感じる人間的魅力といったらよいでしょうか。西洋音楽の中でもこういうことを感じさせるのは、自分の知る限りでは、ドボルザークブラームスのいくつかの作品だけです。

キャスリーン・フェリアー「きよしこの夜」

クリスマスソングは数あれど、結局のところ、「聖しこの夜」が一番好きだ。キャスリーン・フェリアーの温かく、深い声。

https://www.youtube.com/watch?v=M1_4Hie--UM&fbclid=IwAR2xT9htEKDgS7XXrZ3vQpJjaoHzfeN045q6JtgvpFf51uQ0OiG9ghGgO_A

大地讃頌と佐藤真

大地讃頌のオーケストラ版。やはり、本来は「カンタータ 土の歌」の第七楽章ということなので、オケ伴奏版の方がやっぱりいい。曲の終結部分で「母なる大地をああ」「讃えよ大地をああ」と繰り返すところの間で、ホルンが四本くらい揃ってシーラーソーファーと降りてくるところとか、本当に格好いい。ホルンが何本が揃ってゆっくりとしたメロディーを奏でるときは、いつもアルプスとかフィヨルドとか大自然を彷彿とさせる。
https://www.youtube.com/watch?v=mFcaPJG5P-A

こんなピュアな曲を書くので、作曲者の佐藤真は、画家でいうと熊谷守一みたいな素朴な(素朴そうな)人物を長いこと想像していたが、数年前に読んだ、宇野功芳氏との対談では、モーツァルトだがマーラーだかの作曲技法について専門的で鋭い指摘を素人にも分かるような言葉で色々とされていて、やはりプロの作曲家はすごいなと思ったことがありました。まあ、自分の独断と直感だけで勝負し続ける宇野先生も「プロ」の評論家としてすごいなとは思いますが。



 

ベートーヴェン第九(トスカニーニ)

同じベートーヴェンの第9でも、トスカニーニのように67分で演奏されるのと、クレンペラーのように82分もかかるのとで、全然印象が異なるわけですが、両方ともそれぞれ演奏芸術として成り立っているというところに、ベートーヴェンの作った音楽の幅広さというか、許容度の広さを感じます。これがたとえばビートルズの曲のカバーだったとして、テンポが2割以上違っていて、それにも関わらず聴くに値する音楽になっているということはおよそ想像しがたいですよね。

トスカニーニ、NBC響
https://www.youtube.com/watch?v=DuK133dK6eQ

 

フルトヴェングラーのベートーヴェン第五

シャイーという現代を代表する巨匠のベートーベンをボロクソにこき下ろしたので、ちょっと不安になって、自分にとっての出発点だったフルトヴェングラーの5番をyoutubeで再確認。あながち見当違いなことを言っていたわけではないことが分かり、安心しました。冒頭のジャジャジャ・ジャーンというテーマからして、何か異様なものが降りかかってくるみたいでものすごいですが、そのあとも、音楽が一しきり盛り上がって頂点に達した「ソ」の音が、虎が跳躍するみたいに長ーく伸び(0:23あたり)、その後の長い休符の後に、またジャジャジャ・ジャーンと入ってくるあたり。怨念に満ちていて異様な音楽ですが、ベートーヴェンなんて手紙を読んでもクレイジーで、その音楽ももともとそういうもので、その辺を洗い流して小奇麗に処理してしまうと、見た目は良いけどまるで味の薄い水っぽい野菜を食べさせられてしまっているようなものだと思うのですが。なんか最近20年くらいは、ピリオド奏法の影響か何かしらないけど、5番なんかも小編成で、ちまちまやるのが賢い(よく勉強している)みたいな感じで、プロの人達は、そういう潮流を無視してやるわけにはいかないのでしょうが。

https://www.youtube.com/watch?v=2qMwGeb6SfY&fbclid=IwAR0ojK7BYaqWPjI3EyfewK1xuXNpHaEmAHxnkT0QGZNlKUPTzJK-koCg6a4

 

この演奏、むしろ後半が更にすごくて、ヌーッと薄気味悪いものが背中を通っていくみたいに始まったスケルツォは、4:58~あたりからの長いトンネルに至って、それを抜けた後に光が差してくるみたいな「シ」の音が長~く長~く伸ばされた後(5:41~5:47)、フィナーレに突入します。そのあとも、11:56くらいから、ガッ、ガッ、とテンポを上げていき、その勢いのまま最終音に至ります。スリリングな即興演奏のような音楽で、クラシック音楽は楽譜通りに大人しく正しく弾く退屈な音楽というイメージと最も遠いところにある音楽と思います。

https://www.youtube.com/watch?v=WY36u-r9g6U&fbclid=IwAR3zZhmoq64sZz38rfgzUDb48DO3wUcaSasR2Dmh3eL9nBTmZkHB9lFeY_o

 

 

現代のベートーヴェン演奏

第9のシーズンだが、ここ30年くらいのつまらない最近の演奏の代表がこれ。ピリオド奏法等の影響もあるのだと思うが、小さくまとまっちゃって、上手いけど、あんまり面白くない。シャイーの指揮姿は、雄っぽくって華やかだけど、音楽が全然それに釣り合ってない感じ。

https://www.youtube.com/watch?v=-suf9BL9xRA&fbclid=IwAR3mhukqYdmrcgJItmqhab7IHc5G6OqWEd0CNyEg_Xt_N9eLUx3r7gKOzDE

 

そんな中で、(私に言わせると)健闘しているのは、やはりバレンボイム。昔からフルトヴェングラーの真似ばかりしているといわれていて、この第9も、出だしのだんだん怪物が立ち上がってくるようなクレッシェンドとか、フィナーレの高揚した雰囲気など、傾向としては、フルトヴェングラーのものに似ているように思うけど、完全に彼の個性として昇華しているように思う。やはりベートーヴェンのシンフォニーは、大編成でバァーンとやっている演奏が自分は好き。