映画「パルジファル」(1982年)

 

1982年製作の映画版「パルジファル」を見た。本作で特筆すべきは、事前に録音された音楽にあわせて、歌手とは異なる俳優が演技をしていること。近年は、大昔のワーグナー歌手のように声は立派だが、容貌はちょっとという人は減っているが、こういう映画だと、単に美貌というだけでなく、役にぴったりの容貌の俳優を使い、演技についても歌いながらという制約がなくなるため、より精緻な作り込みが可能になる。

本作のキャストでは、以下の3名が大変優れていたと思う。
パルジファル(まだ少年の面影を残している青年はまさに「無垢な愚か者」にぴったり)
・クンドリ(ゲルマン系らしい彫りの深い容貌で、獣のように野卑な女性、母のように優しく美しい女性、呪われた悪魔のような女性というこの役の多様性を見事に表現!)
・アムフォルタス(アルバン・ベルクのような貴族的容貌を不治の傷の苦しみに歪める様はまさに聖杯騎士団の堕ちた王そのもので、これまた見事な熱演。なんと音楽を指揮しているアルミン・ジョーダン自身が出演していることに途中まで気づかなかった)。

第一幕をみると、原作のト書きに忠実なクラシカルな演出に見えるが、大きなサプライズが用意されている。第二幕で使命を悟ったパルジファルが、その時点で、それまで役を演じていた青年に変わり、女性(少女のように見える)に入れ替わる。映画の製作者は、おそらくパルジファルにアンドロギュノス的性格を見ているのだと思う。

これは独特の効果があり、パルジファルの声は成熟したテノール歌手が歌っているものなので、もとの青年ですらやや不思議な感じがあったが、少女のような女性に入れ替わると、カウンタテナーにも感じる、奇妙なエロティシズムがある。

個人的には、第三幕前半の聖金曜日の奇跡の場面までは、少女が演じるパルジファルが清らかさを体現していてなかなかよいと思ったが、男女のパルジファルカップルのように抱き合う最後の結末部分はかなり微妙。

他にも無数にいろいろな仕掛けがしてあって、なかなか一筋縄ではいかない映画という印象。ご覧になる場合は、冒頭のいかにも80年代風のチープな人形劇だけみて騙されないように注意が必要。

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