芥川龍之介と魔笛

作品としての凄みや深さは、同じ作曲家の「ドン・ジョバンニ」等の方が上かも知れないが、何とも言えない温かさと人間味という意味では、「魔笛」は数あるオペラ作品の中でも随一の存在ではないか。
20代に独身で2年間過ごした外国の街で観た「魔笛」で、パパゲーノが念願の伴侶パパゲーナと出会い、「二人の愛のご褒美に、かわいい子供ができたら嬉しいな」「はじめは小さなパパゲーノ」「それから小さなパパゲーナ」「も一人小さなパパゲーノ」・・・と歌う。くだらないと言えば実にくだらないが、そうした中で、暖かなオレンジ色の服を着た子供たちが舞台のカップルの周りににどんどん集まってくるのを見たときほど、孤独と人恋しさを感じたことはない。
そういえば、芥川龍之介の「ある阿呆の一生」で、人生からの逃避行を続ける主人公が立ち寄ったカッフェで蓄音機から流れてくる「彼の心持ちに妙に染み渡る音楽」として登場するのが「魔笛」だった。

クライバーの運命ライブ(1978年、シカゴ響)

大学時代、先輩からCDを借りて一聴驚愕した懐かしの録音。

 

クライバーベートーヴェンのライブといえば、第七番と第四番が、日本の人見記念講堂でのものをはじめ多数残っているが、運命(第五番)はこのシカゴ交響楽団との1978年のものしかないのではないか。

 

あの、あまりにも有名なウィーンフィルとのスタジオ録音の数年後のもので、基本的なスタイルはほとんど変わらないが、やはりクライバーのライブだけあってドライブがかかって更に壮絶な演奏。

 

今年はベートーヴェン生誕250年。世界中のプロの音楽家の方々に訴えたい。そろそろここ四半世紀くらい流行している、小編成でこじんまりとまとめた座敷犬みたいなベートーヴェン演奏はやめて、そろそろ、こういう狼のような野性味あふれるベートーヴェンに戻りませんか。

 

一緒に入っている「魔弾の射手」序曲も、例の後半の急に長調の和音が響く部分の、天井が抜けるようなフォルテッシモの部分など凄い。クライバーが、あの輝くような笑顔で指揮棒を振りまわしている姿が目に浮かぶ。

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-Symphony-No-3,-etc

クルレンツィスの運命2

クルレンツィスの運命交響曲。先週、トレイラーがないのかと言っていたら、ネット上で、ごく一部だが画像があった。といっても、今度発売予定の録音ではなく、4年前のベルリンの地方テレビの企画の映像。

オケの前で、いかにもベルリンらしい、風変わりなコンテンポラリー・ダンス・パフォーマンスが繰り広げられる。そもそものクルレンツィスの指揮と、立って演奏する彼のオーケストラのバイオリニストたちの動き自体が前衛ダンスのようなので、その延長のようにも見えなくもないが。

演奏自体はこの4分ほどの断片ではよく分からないが、最近のhistorically informed performanceと違って、バスの音がきわめて部厚いこと。チェロやコントラバスの人数がそんなにいるようにも見えないが、バババーンと凄い音を出している。

そのことで、この手のスタイルの演奏が陥りがちな、低音不足の貧血気味の頼りない響きにならずに済んでいる

もっとも、会場自体が正規の音楽ホールというよりは、何やらアングラ劇場みたいなところで、響きも残響が少なく、デッドな感じ。今度出る正規録音は感じがかなり違うかもしれない。

 

https://www.youtube.com/watch?v=t_YBqqMXvtU&fbclid=IwAR3fzn8O-GZuGJtPKrWFwK_2NqeeAfr6pM3OkADKsuUQkQXvMzhfuFXA3KU

クルレンツィスの運命

クルレンツィスの運命。基本、シャカシャカ系のベートーヴェンは嫌いだが、彼のはちょっと気になる。

気にはなるが、中身を知らずに買う気にはなれないので、販売サイトでは、できればトレイラーを出して欲しい。

 

   

ネルソンスのブルックナー ちょっと聴いてみての感想

今年のニューイヤーコンサートにも出演したネルソンスがゲヴァンドハウスのオーケストラと録音したブルックナーの第9交響曲の入ったセットをレコード店でつまみ聴きした。

ネルソンスは生で聴いたことはないし、ボストン交響楽団とゲヴァンドハウスのオーケストラを使って、ブルックナーとかショスタコーヴィチとかの新譜を毎月のように恐るべきペースで出してくる超売れっ子指揮者というイメージしかない。結構評判にはなっているようだが。

そんな感じで、これまた、あまり期待もせず第9の始めだけかけてみたが、冒頭のニ短調の弦のトレモロの響きの分厚さに圧倒された。とりわけ、クレッシェンドしていく中で、特に低弦のトレモロが、たとえばラトルのベルリンフィルみたいに一人の奏者が弾いているようにピタッと揃っているというよりは、何となく微妙にズレがあるような感じで、それが却ってブォーンという響きになって、大げさに言えば、宇宙全体が共鳴しているような神秘的な印象を受けた。

ブルックナーの第九といえば、先般、上岡敏之=新日フィルの演奏会に行き、かなりユニークな解釈で面白いと思ったが、このゲヴァンドハウスの録音のような響き自体の物理的に圧倒的な力というのは残念ながら向こうの楽団に一日の長があるというか、おそらくは半永久的に埋まらないように思う。

楽器の質、奏者の体格、ホールの響きの特性が相まってああいうことになっているのか。誰か、物理的な音響の特性とかを、ブルックナーの第九の同じ部分を科学的に比較研究して、違いがどこから来るのか教えてほしい。

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バレンボイムのベートーヴェン演奏への評価 2017 年秋のFinancial Times紙での論争

いささか旧聞に属するが、ベートーヴェン・イヤーで、バレンボイムがピアノ・ソナタの演奏会を各地でツアーしていることもあるので。2017年の秋のバレンボイムの75歳記念演奏会への評価をめぐって、英経済紙Financial Timesでちょっとした論争があった。
 
きっかけは、バレンボイムの75歳記念コンサート(メーターが共演)でのベートーヴェンのピアノ協奏曲の第五番のレビュー記事(2017年11月17日の文化芸術欄)。
私は、日頃から、ベートーヴェンを大編成のオーケストラの分厚い響きで演奏することは、バレンボイムくらいのビックネームでない限り「アナクロニズム」と批判される惧れがあったりしてなかなか難しいのだろうと思っていたが、このコンサートレビューでは、バレンボイムに対して正面から「時代遅れ」と言う評価と等しいことが書かれている。
― 冒頭の和音からして、このベートーヴェンは過去の祝祭であることが明らかだった。(From the opening chord, it was clear that this Beethoven was a celebration of the past.)
― このクラスのアーティストの場合、人々は本当に演奏を聴いているのか。それともかつての栄光の思い出を聴いているのか。(With artists of this stature, do people actually hear the performance? Are they listening to memories of former glory? )
― バレンボイムには自分が思うがままベートーヴェンを演奏するのも許されよう。しかし、ひょっとすると、もう潮時かもしれない(he is entitled to play Beethoven however he likes. But perhaps it is time to move on.)
と散々な書かれっぷり。
 
英国は、ホグウットやガーディナーらの出身地でもあり、ピリオド様式演奏(注:作曲者の時代(ピリオド)の編成・楽器・奏法を追求した演奏スタイル)の「伝統」があるので、非ピリオド様式のバレンボイム=メータに対して厳しくなるのは分からなくはないのだが。
 
その後の読者の投稿でもバレンボイムベートーヴェン演奏への評価をめぐって、賛否両論の議論が行われた。
 
面白いのは、ここでやり玉に挙がっている二人(バレンボイムとメータ)が、アルゼンチンとインドという、クラシック音楽の中心地・欧州からみると「辺境」の出身であること。
 
柳田國男の「方言周圏論」ではないが、かつての京都の「都言葉」が東北や九州に残っていたように、かつての欧州の伝統的なベートーヴェンの演奏様式に、非欧州出身の演奏家である二人が強い愛着を持っているということかもしれない(ほぼ同世代の音楽家でも、イタリア・ミラノという「中心地」出身のアバドやシャイーは、べーレンライター版やピリオド演奏といった「トレンド」に敏感に反応しているのは興味深い)。
 
極東の一ファンである自分自身のフルトヴェングラーワルターの「かつての栄光の思い出」たる演奏様式への愛着も案外このあたりに理由があるのかもしれない。

チェリビダッケのモーツァルト交響曲第35番「ハフナー」

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チェリビダッケシュトゥットガルト放送交響楽団ブルックナー・アルバムの中におまけのように入っているモーツァルトのハフナーが凄い。

例の第一楽章の冒頭の跳躍するテーマ(レー(レ)レーレ ド、ド)のレーがふわっと風が舞い上がるように始まり、その後のド、ドの、二回目のドが軽く短くなっていて、それだけでこのテーマがこれまで聴いたことがないくらいチャーミングになっている。

その後も、全体に非常に速めのテンポと弾むリズムの快演。仔犬が散歩で喜んで跳ねまわっているような感じとでも言うのか。

アマゾン・プライム会員はただで聴けるので、モーツァルトが好きな方は、冒頭の1分だけでも試しに聴いてみられるとよいと思う。