カラヤン・ベルリンフィル マーラー第九(1982年(ライブ録音))

カラヤンベルリンフィル マーラー第九(1982年(ライブ録音))

カラヤンマーラー9番。1979年のスタジオ録音が優れていると思っているが、「1982年のライブ録音はそんなに悪かったかな」と不安になって、聴いてみた。

会社等の仕事でも、不慣れな分野を用心しながらぎごちなく確認しながら進めている場合と、慣れている分野を自信をもって進めている場合とで、後で振り返ってみると、前者の方が一見ゴツゴツしていても、実は仕上がりが悪くない場合もあると思う。

この二つの録音も同じようなことが言えるのではないか。1982年盤の方が全体としてすっかりこなれていて、全体に音楽の流れに無理がなく安定している。1979年盤は、第一楽章のテンポの加速等でギクシャクとしたところがあるし、第二楽章、第三楽章も、何となく危うい感じのところがある。ただ、それによる切迫感がかえって悪くない。1982年盤は表現の角が取れている分、インパクトが弱くなっているところがある。

もう一つは、音の質。1979年盤はアナログ録音、1982年盤はデジタル録音だが、サウンドがかなり違う。以前から言っているように前者の方が個々の楽器に近いオンマイク、後者の方が少し距離を感じるオフマイクの響きになっていることは明らかだが、ライブ録音だからオンマイク的な設営ができなかったわけではあるまいし、それが嫌ならスタジオ録音もできたはずである。そもそも、カラヤンは、レコードの個々のミキシングまで全部チェックし、エンジニアに細かな注文を出す人だったので、この違いは結果ではなくて、明確な意思によるものと思う。

ちょうどこの1982年盤が録音された同年9月のカラヤンへのインタビューの雑誌記事が手元にあるが、カラヤンがいろいろと大病をした話の後、「マーラーの響きを表現する音色が手に入った」「自分の求める、あのヴェールをかけたような響きを手に入れた」という発言がある。1982年の録音は、まさにヴェールをかけたような響きで、70年代までのカラヤンベルリンフィルの圧倒的な音圧の強い響きとちょっと違うという感じを受ける。繰り返しになるが、個人的には1979年盤の響きの方がカラヤンの個性が出ていて好きだが、1982年盤の少し霞んだ響きも独特の美しさは感じる。

インタビューでは更にマーラーの九番について「指揮すると不気味な気持ちになる」「死の旋律です。自分が引き裂かれるような気がします」と語っている。カラヤンは、バーンスタインと違って、あまりこういうモノの言い方をする人ではないので印象に残っている。1982年盤も、そういう音楽の外からの文学的表現が持ち込まれている感じは一切しないが、この曲の特に第一楽章の静逸な部分のどことなく不吉な感じは特に印象に残る。

今日はCDで聴いたが、中3の時にエアチェックしたテープも学生時代はよく聴いた。世間でも、バーンスタイン・コンセルトへボウの録音が発売されるまでは、このカラヤンのライブ盤が決定盤のような感じでFM放送でもよく流れていたと思う。

 

 

カラヤン・ベルリンフィル マーラー第九(1979年(スタジオ録音))

昨晩ノット・東響のマーラー・一番の映像を少し観たせいで、聴きたくなってしまったものだが、やはり、爽やかだが若く薄味の本年モノの白ワインのような「一番」ではなく、経年変化でこってり重く渋みにも欠けぬ赤ワインのような「第九」を選ぶ。マーラーの両曲の間は、ベートーヴェンの「第一」「第九」と同等以上の距離があると思う。

この曲も先般バーンスタインの録音を何種類も立て続けに聴いたので、今日はカラヤンの1979年のスタジオ録音盤。

この録音を通して聴くのは久しぶりだがやはり凄かった。

第一楽章は変幻自在のバーンスタイン流と違って、律儀で逆にどこかぎごちないが、第二、第三楽章は、ベルリンフィルの強靭な合奏力が、変な喩えだが、メカニカルな正確さと重い響きで、超合金のロボットを思わせる格好良さ。

中高時代の音楽教師が「カラヤンマーラー九番は第二、第三楽章がいい」と言っていたが、あらためてその慧眼に感心する。

そして第四楽章のアダージョ。あの、黒檀のように光る、全盛期のカラヤンベルリンフィルの弦の音! 特にチェロ・コントラバスは、強奏の度にギッと、松脂の粉が弓から飛ぶような迫力ある音を出しているが、これはマイクが楽器に近いスタジオ録音ならではの長所だと思う。1982年のライブ録音盤ではこういう音は聴こえてこない。

後半の最大の見せ場の金管セクションによる最後の審判のような場面の後、弦楽器だけが残って天に向かってHの音を長く伸ばすところ(122小節目)。ここはカラヤンは、全弦楽器の弓のアップダウンを1ミリの狂いもなく完全に合わせることで、異常な効果をあげる。

本当に凄いと思うが、嫌いな人は、人工味が過ぎるといって嫌うだろう。逆に、バーンスタインの演奏では、ここでは大抵気持ちが先に行って、弦楽器の弓遣いが完全に合わない。それが却って、必死な叫びと真実味を感じさせるが、この部分の純粋に物理学的な音の威力はやはりカラヤンの方が遥かに凄い。

前にも書いたが、カラヤンのこの曲の録音としては、一般には1982年のライブ盤の方が評価が高いと思うが、自分個人は、この1979年版の方が、録音のオンマイク具合が当時のこのコンビの合奏力の凄さをよりよく捉えていて好きだ。

【バーンスタインのマーラー第九⑧】イスラエルフィルとのテルアビブ・ライブ

バーンスタインイスラエルフィルによるマーラー第9ライブのCDを聴いた。1985年8月25日テルアビブでのライブ。先般来、私が騒いでいる同じコンビの東京公演の約二週間前。高1の私がカメのように東京を這い回って入手した、アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団との正規録音の3か月後の演奏である。

ちなみに、東京公演の成功について伝えるIsrael Evening Newsの記事がCDの解説に入っている。記事の日付が間違っている(東京公演は9月8日なので8月26日の記事になるはずはない)のはご愛敬。

演奏について触れると、またとまらなくなるのでやめる。骨格は前後の演奏とほぼ同じ。傾向としては、あらゆる点で完成度の高いコンセルセルトへボウの演奏と、一期一会の燃焼感が高い東京公演のちょうど間くらいの感じと思う。

それでも敢えて一言だけ言うと、第二楽章のヴィオラのソロが、何というか、乾いた奇妙な音。普通プロのオケでパートソロを弾く人の音とは違う、ジブシーが弾くバイオリンのような音で不思議な効果をあげる。ベックリンの「バイオリンを弾く死神のいる自画像」を思い出す。東京公演のビデオではあまりそういう印象は受けなかったが、東京公演の貧弱な録音のせいか。

このイスラエルでのライブは、2012年になって、イスラエルのHeliconという会社から突然発売された。今回、アマゾンで中古できわめて安く入手した。クリックしてから僅か一両日。くどいようだがコンセルトへボウ盤を東京のCDショップを這い回って入手した35年前とは大違いである。

それもあるが、イスラエルの聞いたこともない会社のCDが日本に相当数入って来ていて、アマゾンでもメルカリでも中古が並んでいるということに驚く。

イスラエルという国については毀誉褒貶いろいろ評価はあると思うが、自分は数年前から濃い関心を持ち続けている。最近では、コロナワクチンについての驚くべきスピード対応が話題になったが、それだけではない。ここには書かないが、仕事の関係で、この国の素晴らしさについて改めて認識を新たにさせられる話を同僚から聞いた。

私は、ドイツのシュミット元首相の回顧録の「日本は(ドイツと違って)周囲の国と真の友達になれなかった」という言葉で酷く傷ついた世代である。大学時代から韓国語を勉強してみたり、周囲の諸国に関心を持ってきたが、残念ながら、年を経るごとに、益々、シュミットに反論する材料を失いつつあるように思う。

他方、最近、地球儀を眺めると、各地域に、意外に周囲と折り合いがはつかないがキラリと光る国があることに気づき始めた。一つがこのイスラエル。もう一つは英国である。

もちろん、まずは対米関係、次は周辺国だが、他地域のはぐれ者同士、もう少し連携を模索してもよいのかなと。

バーンスタインマーラーのつなぐ縁で、改めてそんなことを思ったりしている。

 

バーンスタイン・インタビュー

1990年頃は月間ASAHIという雑誌があった。自分はこの雑誌の読者ではなかったが、この年の夏に来日するバーンスタインとのインタビューが掲載されたので買ったのだろう。日に焼けた切り抜きが手元に残っていた(インタビュアーはCottという米国の音楽評論家)。

孤児の子供たちを励まし、民主化されたプラハベートーヴェンの第九を振り、ウィーンで弟子の佐渡裕を指導し、札幌のPMFを立ち上げる等、末期の肺癌を患っていたとは到底思えない活躍ぶり。写真にはないが、89年のクリスマスには壁崩壊直後のベルリンで東西混成のオケで第九を振り、90年2月にはブルックナ―の第九のCD・映像を作成したりもしている。

インタビュー記事もサービス精神旺盛で茶目っ気たっぷりのエピソード満載だが、音楽ファンとして気になるのは、マーラーの夫人アルマの愛人として、グロピウス、ココシュカ、ヴェルフェルに加え、さりげなくブルーノ・ワルターの名を挙げているところ。

自分の短い米国経験でも、ニューヨーク在住のユダヤ人社会のネットワークは密な様子がよく分かる。その住民であるバーンスタインが、かつてコミュニティの重要人物であったアルマ・マーラーやブルーノ・ワルターについて、それほど無責任なことをいうとも思えないので、そういうことはあったのだろう。

アルマが、人格者として知られ、マーラーの最も忠実な使徒であったワルターのことを「汚いブタ」と罵っていることを不自然に思っていたが、久しぶりのこの記事を読んで、そういう過去もあったのかもしれないと思った。

 

 

【バーンスタインのマーラー第九⑦】東大オケのマーラー第九(2)

東大オケマーラー第九の話はまだ終わらない。その後、約10年後、ミュンヘンに滞在していたときに、演奏会場でしばしば会う日本人のSさんという知り合いがいた。私より少し年上だったが、私と同様、絵に描いたようなクラオタお兄さん。西洋史の専攻で、ミュンヘン大学で歴史の博士号取得を目指していた。西洋の音楽、文化、社会あらゆるものについて深い造詣があり、演奏会後に、市庁舎前のDonis`lという行きつけのドイツ料理屋でRadler(ビールとサイダーを混ぜた飲み物)を飲みながら、演奏会の感想戦と同時に、日独の経済・社会・文化の違いについて話をするのは、至福の時間であると同時に、自分にとっては非常に貴重な学びの機会だった。

このS氏とは、当然、このマーラーの第九についても話題になった。自分で初めて生で聴いたのは東大オケの演奏会だったという話をしたところ、この年上の友人が何か急に動揺し始めた。何かと思って話を聞くと、このマーラー第九の演奏会にトランペット奏者として参加していたが、S氏はあがり症で、大変重要な部分のソロが怖くて仕方がなかったとかいう話だったと思う。

そう言われるとすぐに思い当たるが、第三楽章、あのダンテの煉獄を彷徨うような荒涼とした音楽が長々と続いた後、突然、天国のような光景に変わる部分。そこの最初の8小節くらいがトランペットのソロで、第四楽章の聖なる雰囲気を予告するメロディーを高らかに吹く。全曲の中でも、バーンスタインベルリンフィルが落っこちた第四楽章のトロンボーンのパートと匹敵する名場面。西洋の宗教画でよくある、天空を舞う大天使が吹くラッパを思わせるシーンで、ラッパ吹きなら死ぬまでに一度は吹きたいパートだろうと思う。

この時のS氏の話はいつになく歯切れが悪く、本番で失敗したのか、あるいは、練習で失敗したので本番は別の人に取って替わられたのかよく分からなかったが、「自分は肝心なときにプレッシャーに負ける駄目な人間だ」「トランペットを吹くのはやめた」「人間、勝負の瞬間というものはある。あなたはどうか負けないでほしい」等々、いつになく深刻な話となってしまい、Radlerも苦くなって、その日はお開きになったと思う。

東大オケの演奏会自体は、早川氏のパンフレットが印象的で、残念ながら演奏自体の印象はあまり覚えていない。第三楽章のあのトランペットソロが間違えたら印象に残りそうなものだが、そういう記憶もないので、S氏の話は本番の話ではないのか、あるいは演奏会が複数回あって別の会場でのことだったのかと思う。

S氏とは当方の帰国後、忙しくしているなかで連絡が途絶えてしまった。本業の西洋史の研究でも、ラテン語ギリシア語、古ドイツ語を駆使して史料を読まなければならないということで、何か壁にぶつかって苦労されていた印象があるが、元気にされているといいなと思う。

【バーンスタインのマーラー第九⑥】東大オケのマーラー第九(1)

必死のパッチで入手したアムステルダム・コンセルセルトへボウ管弦楽団とのマーラーの第九のCD。当時一聴して何より驚かされたのは、その悠然たるテンポ。初演者のブルーノ・ワルターの演奏時間と比較すると一目瞭然。

バーンスタイン・コンセルセルトへボウ(1985年):89分02秒

ワルター・コロンビア交響楽団(1961年):81分05秒

ワルターウィーンフィル(1938年):69分41秒

今から思えば、80年代はマーラーに限らず、また、バーンスタインに限らず、古典派・ロマン派音楽の演奏は、機械的な正確さから、より深い情緒、一言でいえばよりロマンチックな方向にシフトしていく流れが頂点に達していた時期で、上記の演奏時間の推移もその一環と思う。

CDを入手して約1年後、高2の頃だったと思うが、同級生の姉君が出演する東大オケの演奏会でこの曲をやるというので、聴きに行った。自分にとってのこの曲を初めて生演奏で聴く機会となった。

その時のパンフレットは指揮者の早川正昭氏が自ら執筆したものだったが、ちょうど上記の3つの録音の演奏時間について紹介があり、「自分(早川氏)は初演者ワルターの1938年の演奏スタイル・テンポへの回帰を目指す」といったことを書かれていたと思う。実際の演奏時間は覚えていないが、今思えば、80年代でも既にバロック音楽モーツァルトの演奏では市民権を獲得し、90年代以降はベートーヴェンやロマン派音楽の演奏でも大きな流れとなる、HIP(historically informed performance。作曲・初演時の演奏スタイルを意識した演奏)に近い考え方だったと思う。

 

 

【バーンスタインのマーラー第九⑤】コンセルトへボウ盤入手の思い出

今回は例のイスラエルフィルの来日公演と同じ1985年録音(発売は1986年)の、アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団との正規盤の日本発売時のパンフレット。

この「新マーラー・サイクル」開始、それも最高傑作の「第九」の発売というのは、遠い極東で高校1年生だった自分にとっても事件だった。一日でも早く聴きたいという気持ちで、国内盤発売を待たずに輸入盤を入手しようと考えた。

当時はクラシック音楽の輸入盤は、タワーレコードもなく、マニアックな個人のお店で細々と扱っているような状況だった。専門誌の広告を頼りに、放課後、新宿、渋谷等のお店を幾つも転々した。途中、同時に発売された第七番は残っていたが、第九はどこも売り切れ。最後に、確か渋谷と代々木の間の山手線沿いのビルにあった「ジュピターレコード」とかいう小さな個人店で1セット余っていたのを掴むように手に取り、買ったと思う。

後知恵だが、プラザ合意の翌年ということもあり、輸入盤の方が国内盤より値段も遥かに安かったと思う。おそらく4000円台だったのではないか。当時の2枚組CDとしては安い。このパンフレットによれば、国内盤CDだと6600円とある。ちなみにアナログLPは5200円と今と違ってCDより安い。

この後、年2~3曲くらいのペースで、各交響曲の録音がリリースされ、いつも、そのしばらく前に、NHK-FMで、CDになる前の生の演奏会録音が放送された。1番、5番、6番のエアチェックのカセットテープが手元に残っているが、何度聴いたか分からない宝物のような記録である。

最近は少なくともクラシックでは、CD発売で、わざわざこんな手の込んだプロモーションはしないと思うし、そもそもほとんどの新譜がspotify等で無料で聴けるので、こうした苦労は何だか笑い話のようにしか聞こえないと思うが、そのせいか、いろいろ聴いても、右から左の耳に流れて忘れてしまう気がする。