ブルーノ・ワルターのライブ

東京ではたくさんコンサートやっているけど、あんまり行かないのは、何かと小忙しいのもあるけど、血が騒ぐというか、何が起きるか分からない、行かないと一生後悔するという感じが全然しないせいでもあります。固有名詞を挙げて申し訳ないけど、パーヴォ・ヤルヴィN響とか。多分、5年後に行っても、同じ曲のCD聴いても同じだろうし、非常に綺麗に整っているけど、レンジでチンの冷凍食品でも食べさせられているような感じ。日本でも、少し前なら、朝比奈隆とか、上手い下手は別にして、「行ったら、何か起きるのでは」と期待させる公演があったのだけど、今は、ロマン派音楽の指揮者だったら、「何か起きそう」と思えるのは、勉強不足な私には、上岡敏之さんくらいしか思い浮かばない。
何も起きないなら、大昔のものでも「何か起きてしまった」録音を聴いている方がよほどスリリング。たとえば、今から55年前に亡くなったブルーノ・ワルターのライブ。どれも、本当に一期一会の名人芸というか、鬼神のように突進するブラームスの2番のフィナーレとか、暗く甘く歌い、とてつもなくロマンティックなモーツァルトの39番とか、高級な貴腐ワインのように熟しきったマーラーの4番の3楽章とか、例によって早いのか遅いのか分からない不思議なテンポで疾走するモーツァルトプラハの一楽章とか。機械じゃなくて人間が音楽するなら、こういうものでないと意味がないと思います。
全てが「事件」としかいいようがない公演の記録が、コンサート1回分とか同じかそれより安い値段で手に入るので、いい時代になったものです。
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