トランプ大統領とオックス男爵(薔薇の騎士)

トランプ大統領の一貫して野卑で女性蔑視的な態度については、ここ数年ずっと既視感があったのだが、「薔薇の騎士」のオックス男爵だった!
ウィーン文化の髄とも言えるホーフマンスタールの台本によるだけに、あの態度というのは、残念ながら、当時のウィーンでも、ある種の典型として存在したと言うことが分かる。
特にこのクライバーとウィーン歌劇場の有名なプロダクションでクルト・モルの演じるオックス男爵は本当にそっくり。
最後に身から出た錆で数々の請求書に追われつつも、しぶとく居残り、この期に及んでゾフィーとの結婚を主張してなかなか退場しない様子は、現下の状況をどうしても思い出させる。
大きな違いは、楽劇と違って、元帥夫人のように威厳をもって退場を勧告できる人がいない点だけか。
 

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熊倉優指揮、藤田真央ピアノ N響演奏会(2020年11月14日)

コロナで暗いニュースが多い。クラシックの演奏会も、在外の指揮者・ソリストが来日できず中止・変更に追い込まれているものが多い。
ただ、よく見ると、そうした変更となった演奏会で、コバケン等の大御所に加えて、日本人の若手演奏家に活躍の機会が増えている気がする。クラシック音楽の世界は極端に競争が厳しくて、表舞台への新規参入は難しいようなので、コロナ下で数少ない良いことだと思う。
夏にネット中継で聴いた太田玄さん指揮の新日フィルの演奏会もそうだったが、昨晩のN響演奏会もその好例。指揮の熊倉優、ピアノ独奏の藤田真央(男性)はともに20代。FM放送の録音で聴いただけだが素晴らしい。
冒頭のメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」は、R.シュトラウスマーラーのどぎついサウンドに馴れてしまった耳には正直退屈で普段はほとんど聴かない音楽だが、びっくりするくらい繊細な絵が目の前に広がるような演奏で、改めて曲の素晴らしさを感じた。
そしてシューマンのピアノ協奏曲。冒頭から速めのテンポで流れていく。ピリオド演奏の影響を受けた、淡麗薄味の今風の演奏だが、それが完全にそういうものとして消化されていて嫌味が無い。
考えてみれば、熊倉さんとか藤田さんの世代になると、物心ついた頃からシューマンメンデルスゾーンはこういう流儀で演奏されるのが当たり前だったのでそのせいなのかもしれないが、その時代の流行に加えて、こういう身振りがあまり大きくなく、繊細さで勝負する演奏スタイルの方が、日本人の体質にはあっているのかもしれないといったことすら思う。ジャンルは違うが、米津玄師の曲なんかとも似た感性を感じる。
藤田さんはピアノもテクニックも音も素晴らしいし、N響もヤルヴィの下で鍛えた淡麗薄味で透明な響きをこれ見よがしに展開する。
シューマンの協奏曲でも木管の細かなフレーズまで実に見通し聴こえて、野菜などの具がすべてよく見える透明なスープのような音楽。往年のフルトヴェングラーギーゼキングのレコードなんかだと、楽器の響きが一つに混じりあってドロッと暗く思い響きになっていて、言ってみれば、グラーシュ・スープ(ハンガリー風のビーフシチュー)のよう。かつてはそれがシューマンの響きだと理解していたわけだが、それとはまるで別の魅力的なオルタナティブがあるということ。
演奏会後半はバッハ・レーガーの「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」。これは、あまりどうこう、いじくりようもない音楽だが、そもそもこういう選曲が面白いと思う。
この後のメンデルスゾーンの「イタリア」も基本はフィンガルやシューマンと同じ路線。あの快速な曲の一番冒頭も、トスカニーニシノーポリがやったときのように、真夏のイタリアの強烈な日差しが差してくるという感じではなく、ちょうど今日の東京のように、爽やかな日差しが差しているといった感じ。たまたまではなくて、冒頭のフィンガルの洞窟と繊細さで一貫している。
これを欧州の人が聴いた場合に、単にコントラストが弱いと思うのか、日本人シェフのフランス料理のように繊細さを評価してくれるのか、知りたい。
 

クライバー・ウィーンフィル ベートーヴェン5番(1982年ライブ映像)

クライバーウィーンフィルベートーヴェン第5の映像。第4、第7は色々な映像があるが、5番は初めて。
 
メキシコの放送局の映像。画像が古いのと演奏中にアナウンスが入るのが難だが貴重。1982年、クライバーもまだ若くて元気。この頃が全盛だったのかもしれないと思う。
 

フルトヴェングラー・ローマ放送響「神々の黄昏」第三幕(1952年)

1952年のフルトヴェングラーとローマ放送響の「神々の黄昏」第三幕。有名な1953年の指輪全曲録音のきっかけとなった演奏会の記録を聴いた。
途中までは緩い部分も多いが、大詰めのフラグスタートによるブリュンヒルデの自己犠牲はさすが。北欧の鋼鉄の声というか、冷たく光る白銀のような、よく通る声。
 

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ディスクユニオンでのCD処分 プライシングの謎

今後の人生でおそらくはあまり聴き返さないであろうCDを、ディスク・ユニオンで売却。
ディスク・ユニオンは、少なくともクラシック音楽のソフト(CD、アナログレコード等)については、日本国内最大の流動性を有する、セカンダリーマーケットである。
ここでの買い取り価格が興味深い。店員を見ていると、盤の状態(古さ、汚れ等)を調べた上でデータベースで確認している様子であるが、このデータベースが胆。おそらくは店舗売上げにおける需要と買い取りで入ってくる供給とでプライシングをしている様子なのだが。中身を見てみたい。
今日処分したものの中では、プロコフィエフのオペラ「炎の天使」とロジェストヴェンスキー指揮ソビエト文科省交響楽団によるブルックナー5番がそれぞれ250円で最高値。
プロコフィエフは3枚組なので多少値が上がるのは分かるが、他の1枚ものの多くが50円であり、オペラで重要な日本語訳が付いていない(海外盤)わりには高値で、何らかのプレミアムが乗っていることがわかる。
ブルックナーは1枚モノなので、他の5倍と言う価格は明らかにプレミアム。録音も悪いし、ロシア風の異常にアクの強い金管がブルック
ナーとしてはどうかと思うが、供給が少ない中で何らかの需要はあるのだろう。
ロジェストヴェンスキーという意味では、ショスタコの10/11番の2枚モノも200円で売れた。こちらは80年代頃から日本でも盛大に売られていた音源なので珍しくはないと思うので、この価格は不思議。ロジェヴェン、日本の中古市場では人気?
あとは、米国人から譲り受けたブルーノ・ワルターブルックナー4番が100円で他の2倍。ソニーレコードではなく、CBSと言っていた頃のCD初期盤なので古いものであり、音源自体は日本でもごくありふれたものだと思うが、何故プレミアム?

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クレンペラー エルサレム交響楽団 マーラー第9

クレンペラー最後のマーラー第九」等、盛んに宣伝されている録音。この手の宣伝につられて買ってがっかりすることも多いが、これは本当に凄かった。

 

タワーレコードの宣伝等にもあるとおり、オケは技術的には非力さが目につくが、そういうものを超えた、とてつもない宇宙的スケールの音楽になっている。

 

特に第四楽章。バーンスタインのような慟哭でも、ワルターやバルビローリのような暖かな慰めでもなく、ひたすら静寂が支配する絶対零度の宇宙を進んでいくような感じ。

 

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