2019-01-01から1年間の記事一覧

「影のない女」(第一幕)

昨日来、仕事関係の文献を読みつつ、集中力が続かなくなったところで、R.シュトラウスのオペラ「影のない女」の録画を観ている。 第一幕の終わりまで来たが、これはなかなか重い作品というか、女性の人権(産む権利、産まない権利)と産まれる側の権利とい…

フルトヴェングラー・ローマ放送響「神々の黄昏」(1953年)

本年2周目の「ニーベルングの指環」(フルトヴェングラー・ローマ放送響)を聴き終えた。 今日は、「神々の黄昏」の第3幕の後半、非業の死を遂げたジークフリートの遺体がギービッヒ家の屋敷に戻ってきた後の場面。 ジークフリートの死をめぐって生じるギ…

フルトヴェングラー・ローマ放送響 「ジークフリート」「神々の黄昏」(1953年)

今日は、フルトヴェングラー・ローマ放送響の「指輪」の続き。「ジークフリート」の3幕の終わりと「神々の黄昏」の序幕と一幕の途中までを聴いた。 「ジークフリート」の第三幕では、ブリュンヒルデは、アンドロギュノス的な女神であり、抱擁に戸惑う乙女で…

フルトヴェングラー・ローマ放送響「ジークフリート」(1953年)

今年2周目の「ニーベルングの指環」(フルトヴェングラー・ローマ放送響)の続き。「ワルキューレ」と経て「ジークフリート」の第二幕の終わりまで来た。 「ジークフリート」は、通常「ワルキューレ」に比べると少し人気が落ちると思うが、どうして、若さと…

フルトヴェングラー・ローマ放送響「ワルキューレ」(1953年)

さっき聴き終えた「ワルキューレ」第一幕(Furtwaengler/RAI)の後半は、ジークムントとジークリンデの有名な愛の二重唱だが、単純に男女が会って「愛」が芽生えたというよりは、それぞれ長くつらい「冬」の時代を経て、とうとう「春」が訪れたというもの。 二…

フルトヴェングラー・ローマ放送響「リング」(1953年)

今日もしつこく「ニーベルングの指輪」。 今度は、1953年のローマ放送のオーケストラと放送用に録音したフルトヴェングラーの二番目の録音。これは、昔、ミュンヘンに住んでいたときに200マルク(1万4000円)くらいで買った。当時としては痛い出費だったが「…

フルトヴェングラー・スカラ座「神々の黄昏」第二幕、第三幕(1950年)

昨日の続きで、「神々の黄昏」の第二幕、第三幕を聴く。1950年のフルトヴェングラー・スカラ座のライブ。 やっぱりフラグスタートの歌唱が凄い。第二幕で、裏切りに激高して復讐を誓う場面は、この長い四部作の中でもとりたてて魅力的でない部分だけど、…

フルトヴェングラー・スカラ座「神々の黄昏」序幕 (1950年)

今日は、昨日の続きで「神々の黄昏」の序幕を聴いている。序幕の中の「夜明けとジークフリートのラインの旅」は、高校時代から特別な愛着を感じ、繰り返し聴いてきた場面である。 特に冒頭の空が微かにピンクに色づき始め、それが次第に力を増して、最後には…

フルトヴェングラー・スカラ座の「ジークフリート」(1950年)

いろいろな用務の間に1950年のフルトヴェングラー・スカラ座の「ジークフリート」を聴いていたが、ブリュンヒルデを歌うフラグスタートが凄かった。特に、第三幕の大詰め、Mir strahlt zur Stunde Siegfriedes Stern-----(今は(神々の栄光でもワルハラの威…

楽劇「ジークフリート」 森の小鳥の声

ワーグナーのオペラ「ジークフリート」。この4時間余りの長い長い劇の中でも、一番好きなセリフは第二幕の終わりのこれ: <森の小鳥の声> つらい時でも朗らかに、ぼくが歌うは愛の歌・・・ 心をふさぐ嘆きから、ぼくが紡ぐは歓びの歌・・・ ただ憧れる者…

フルトヴェングラー・スカラ座の「ワルキューレ」

今日はフルトヴェングラー・ミラノスカラ座の録音で、「ワルキューレ」の第三幕を聴いた。 この楽劇を実演でよく観ていた二十代の独身の頃は、明らかにジークムントとジークリンデという若いペアに感情移入があって、二人が禁断の愛を燃え上がらせる第一幕と…

マゼール・バイロイトの「リング」(1969年)

オペラファン、それも古いものが好きな人には良いオンラインショップを発見。 きっかけは、マゼールのバイロイトでの「リング」。今から20年以上も前、日本で1968年の公演の録音が一瞬市場に出たが、その後は再発売がないため、ヤフオク等で結構高値で売ら…

カラヤンのジュピター交響曲(1957年)

オーストリア放送の1957年のザルツブルク音楽祭でのカラヤンの演奏会の記録から、モーツァルトのジュピター交響曲のフィナーレ。全身の毛穴から精気が噴出しているような凄まじい気迫。この楽章の演奏としておそらく世界最速の5分56秒。カラヤンは当時49歳。…

ブルックナー 第四番の名盤   上岡、ヨッフム、朝比奈、クナッパーツブッシュ

上岡敏之さんのブルックナー。先日、第七番について先日書いたが、第四番も同じヴッパタール交響楽団との録音が出ている。http://www.octavia.co.jp/shop/exton/005870.html 第四番は、第七番に比べると正直中身がそれほどしっかり詰まっている音楽ではない…

ギュンター・ヴァント  90年代の 巨匠

15年前くらいに亡くなったギュンター・ヴァントというドイツの指揮者がいる。90年代半ばからその死までの数年間ほとんど「神格化」された存在になっていたが、80年代までは、堅実だが地味なドイツの中堅(といっても70歳を超えていたが)という感じ…

上岡敏之 新日本フィルとのブルックナー第七番が楽しみ

昨年、上岡敏之さんが新日本フィルとの定期でブルックナーの第9番を取り上げて、ライブのCDも出て、賛否いろいろ評判となったが、今シーズンにはいよいよブルックナーの第7番を取り上げるらしい。演奏会が来週に迫ってきた。 上岡敏之さんのブルックナー…

ヨッフム  最晩年のブルックナー第七番

ドイツの巨匠ヨッフムが晩年の80年代にアムステルダム・コンセルトヘボーとともに来日したときのブルックナーの第七番の公演。大河のように滔々と流れる名演。当時高校生だったが、FM放送を聴いて圧倒されたのを覚えている(今も手元に録音テープがある)。 …

上岡敏之指揮、新日本フィルのマーラー第五番ほかの演奏会(2017年9月、横浜)

2年前の9月のコンサートの備忘記事。 ベートーヴェンの四番のピアノ協奏曲とマーラーの5番というプログラム。 上岡さんは、かなり以前に年末恒例のN響第九を振っているのをテレビで聴いて、何というのか、テレビの画面からくっきり音楽が浮かび上がるよう…

バーンスタイン ウィーンフィルのマーラー6番

若い頃に好きだったものに接して当時と変わらぬ思いが沸き起こるのを確認すると、毎日慌ただしくしていても、自分が昔の自分から変わっていないことが確認できてホッとする。 その一つが80年代のバーンスタイン、ウィーンフィルのマーラー6番のライブ録音…

ヴォツェック  2017.12.10

久しぶりにヴォツェックを聴いた。20世紀の産んだ、壮絶で陰惨なオペラ。メサイアの至福にのみ浸っていられない、神も調性も無くなった後の時代に生きることが幸か不幸か分からないが、この音楽の持つ凄惨な美しさは全く独自の魔力を持っていて、一度味わう…

N響レジェンド マタチッチ 2017.12.10

昨晩、ユーゴの巨人マタチッチを迎えたメサイアの古い録音の前半をやっていた。過度に分厚すぎることもないが、充実したバスの響きに支えられた、至福のヘンデル。50年以上前のライブだが、録音の質を別として、メサイアの演奏としては個人的にはこれ以上望…

高い城の男 ハヤカワ文庫  2017.12.3

「第二次大戦でもしも枢軸側が勝利していたら」という設定のSF。かつて随分話題になったものらしいので期待したが、微妙な読後感。この本が出た1963年というと、そろそろ日・西独とも米国にとって小うるさい存在にはなりつつあっただろうが、冷戦もまだ厳…

小林秀雄 近代絵画

四半期世紀ぶりに再読したが、ゴッホとゴーガンの章は絶品。きわめて主観的な批評だが、作品の受容は受け手側の全人格的な感受性に依存する以上、客観的な批評などあり得ないことを教えてくれているとも言える。

フルトヴェングラー リング  2017.11.12

昨日行ったコンサートのアンコールで、期せずして「ジークフリートの葬送行進曲」を聴いたことで、ワーグナー欲?が久々にむらむらと刺激されて、家族が出かけている昼の間、「ニーベルングの指輪」から拾い聴きをした。「ジークフリート」第3幕の大詰めと…